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『ことり』(小川洋子著)~母の写真、ブローチ、廃墟

今年のはじめの方、「最近、何かいい本読んだ?」と、10年ぶりくらいに会った友人に聞いて教えてもらいました。教えてもらえて、本当によかったと思う小説でした。

私は著者の作品をそれほど読んでいるわけではないのですが、『薬指の標本』や『妊娠カレンダー』などでは、不穏で、繊細で、幻想的でやや難解というイメージでした。

本書のあらすじは下記のとおりです。

読み進めるうち、弟である「小鳥の小父さん」の目を借りて、兄弟の生活を見守る気持になります。小鳥の歌や音楽にじっと耳を澄ますお兄さんに、読者も同化していくように感じます。
いつまでも、2人の静かで平穏な暮らしが続けばいいと思う。
小鳥の歌声や、掃除された鳥小屋などの、兄弟が大切にしていたものの描写が殊に美しく、読んでいると気持ちが静まる感じがします。

兄弟にとって大切なのは、変わらないこと、そして、じっと耳を澄ますことです。
「成長」なければ敗北、のように思い込む社会から見れば、兄弟の生活は、何も発展しない、非生産的なものかもしれません。でも、2人は満足しています。

お兄さんは小鳥の言葉を理解し、「この世の音はお兄さんの耳だけに本当の姿を響かせ」ます。私達が感じ取れない、または無視してしまっている世界の意味を感じ取っています。
それが「普通の」生活より貧しいと、どうして言えるでしょうか。

ある種の憧れも感じます。羨ましさともいえます。私の資質もこの兄弟に少しだけ近いと感じます。できるなら、他人に干渉されず、何かにじっと耳を傾けながら、静かに生きたい。

でも、現実にはこんなふうには暮らせるのは、不幸どころか、かなり幸運な人たちだと思います。彼らには親の遺した家があり、他人に振り回されたりもせず、収入の安定した、そこまで酷くない仕事があります。

お兄さんが亡くなったあとも、小鳥の小父さんは全くの孤独というわけではなく、つながりを持てそうな人たちと出会います。
でもそれらの人たちはみな孤島のようで、結局、小父さんは全てから切り離され、失い続けます。 小父さんが保育園の鳥小屋の掃除を拒絶され、鳥小屋が荒れ、小鳥が減っていくのを見守る場面は、たまらなく悲しく感じます。 

また、老人が死んだ鈴虫を踏みつぶす場面には、胸が悪くなります。
小鳥が死んだとしても、小父さんやお兄さんは絶対にそんなことはしないはずです。同じ資質を持った者だからといって、簡単に分かり合えるわけではない残酷さがつらいです。

最後の数ページは、私が読んだことがある小説のなかで、最も胸を打つもののひとつでした。

背後には母親の写真と、お兄さんの作った小鳥ブローチがあり、目の前には廃墟があった。それですべてだった。

小父さんの生涯の最期は、美しいとも言えるし、でもたまらなく淋しく、胸が締め付けられます。
お兄さんと同じように、小鳥がそばにいたことが大きな慰めです。

小父さんがお兄さんの死について、園長先生に語った言葉が思い出されました。

彼らが天国まで導いてくれます。何と言っても小鳥は、空を飛べるのですから。

これほど複雑な感情を創作によって呼び出せる著者の努力と筆力に感銘します。
こうした作品を読むと、普段いかに自分が鈍化した感覚で世界と接しているかが痛感されます。兄弟の生き方と比べても、この小説自体の精妙さと比べても。
小鳥の歌にじっと耳を傾けるお兄さんの姿勢は、著者とこの作品そのものとも思いました。

著者がある番組で話されたというコメントは、まさにこの作品を読む意味だと感じます。

この世界の片隅に押しやられて、ひっそり生きている人達も、すごく大事な言葉を実はささやいている。それはすごく小さな声なんで、本当に心を静かにして耳をすませないと聞こえてこない、例えば小鳥のさえずりみたいな...。
ですから、自分のすぐそばにこんなに美しい小鳥のさえずりが聞こえているのに、雑音に邪魔されて聞こえてないっていう日常にまみれている人に、耳を澄ますような気持でね、この本を開いていただけたらなって思いますね。

素晴らしい本を人から勧められて読むと、この人はこんな美しい本を読んで感動する心を内側に持っていたんだと知り、それ自体に感動します。
普段、人はその内面を他人に正確に伝える場面は、なかなかありません。
本により、それに触れることができることがあるのも、読書の大きな喜びです。

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