戦争の反省は誰がするべきなのか
終戦記念日が近づくとテレビではその関連の番組が多くなる。今日もそれを放送していた。特攻隊の隊員の悲しい話だった。「可哀想」を引き出す物語だ。それで視聴率を稼ごうとしているようにさえ思える。
戦争は良くないと言いたいことはよくわかる。しかし、現代の私たちに何をしろというのだろうか。それを考えたことがあるだろうか。出来ることといったら「マスコミを鵜呑みにするな」ではないだろうか。
もし、大戦中に私が二十歳前後で「お国のため」と何度も何度も言われれば、100%の確率で特攻隊に志願していただろう。しかし、その話のネタ元はマスコミである。それもガセネタである。
彼らは当時のことを「軍国主義だったからあの時は仕方がなかった」と言う。それなら反省すべきはマスコミではないだろうか。国民はマスコミを通してでないと何も知らないのだ。
軍国主義に従ってしまった自分たちの業界の問題を反省すべきだが何も言わない。
戦争は悲惨だ、可哀想だ、残酷だ、というが、それに加担したことは、おそろしく罪が重いことを知っておくべきである。
私の母親の父親が、死を待つしかないフィリピン沖で殺された。「国のため」にだ。それを誰が言ったのだろう。
近所のおじさんやおばさんではないことは確かだ。
問答無用で、ひとりの素人の闘争心もない田舎者を、死ぬことが確実な場に放り込んだのだ。その雰囲気を作ったのはマスコミだ。
マスコミは自分たちが世の中の流れを作っている自負があるという。「あの時は仕方がなかった」で逃げ道まで用意している。
そんなマスコミを信じ切っている多数の人間がいる。反論しようものなら「みんな言ってる!」とマスコミを擁護する。
そして、事が間違いだとわかっても「あの時は仕方がなかった」とマスコミと同じことを言って逃げる。
反省すべき人間は誰なのか。
私はこれまで戦うことで国を守ると思ってきた人間だ。しかし、戦わない交渉をすることを誰も言わないのが気に入らない。戦うことが前提なのだ。
防衛、防衛、防衛、防衛というが戦わない交渉の話は一切ない。
特攻隊の物語を流す同じテレビ局が、ウクライナがロシアに攻め込んだと言う。ウクライナに肩入れする人は喜ぶのだろうが戦争は戦争だ。ロシア人なら死んでもいいのか。目くそ鼻くそを笑う。
マスコミは戦争の火に油を注ぐことばかりする。
特攻隊員に「戦争は負けてるし、日本は降伏するしか手はないよ」と言ってあげれば無駄に死ぬ人はいなかったはずだ。
「あの時は仕方がなかった」、その話はもうええって。
想像してほしい。
スマートホンを片手に暮らしている人が、「明日から戦地で戦ってきてね」と言われたらどうだろう。
あなたはどうだ?あなたの子供はどうだ?あなたの連れ合いはどうだ?戦い抜くことは出来るだろうか?
「嫌だ!」と駄々をこねても「お国のためだから」と取り合ってもらえない状況だ。
「勝ってるから大丈夫」「みんな行ってるし」本当にそうか。
「今はドローン使うから危なくないっしょ!」と言う呑気な人はどうしようもない。
今からでも遅くない。マスコミは「これから権威に逆らってでも嘘は申しません」と言ってほしい。
それが戦争を抑止する第一歩なのだ。
戦争で亡くなった人のこととは別に、ガセネタを信じて死んでいった者の無念を考えると苦しくなって息が止まりそうになる。
「あの時は仕方がなかった」そんな言い訳はもう聞きたくない。