自分の好みは大切だけど…
「他人と同じは嫌だ」という人がいる。
「人に教わるのも嫌」「自分の好きなようにしたい」
そんな人は、「自分の考えは正しい」と思っているようだ。本当に正しいのだろうか。
正しさとは、何に対する正しさかということにも関わる。独りよがりでも自分が正しいと思えば正しいのかもしれないが、「正しい」そんな時に使うものではない。
「自分の好みでは…」と言わないと、批判の的にされる。
好みで発言する人は、誰の役にも立たない意見が多い。ほとんどそうかもしれない。
価値観でもなければ哲学でもないからだ。好きか嫌いかの判断は他人には無意味な心理である。
ぼくは、他人に発する自分の意見は、他人を益する意見でありたいと思っている。
それなのに、何の役にも立たない自分の好みを 自分の意見だと言えることはすごいと思う。ぼくにないものは全てすごいと感じるのだ。
以前にも、仕事が出来ないと評価されている人に、「何で仕事出来ないの?」と尋ねた。すると、答えは「仕事が出来ないんじゃなくて、わざとやらないんです」だった。
「何でわざとやらないの?」と尋ねると、「言われた仕事をやると、その人が喜ぶのが嫌だから」答えた。
「すごい」と思った。こんな発想があるのかと心底驚いたものだ。
今日も「何で他人の言うことが聞けないの?」と尋ねると、「ほら、言うた通り出来たやろ」と言われるのが嫌だから、という答えだった。
前述の話を知らなければ、ビックリして腰を抜かすところだったが、抗体がついていたおかげで、冷静に話を聞け、「いろんな考え方がありますもんね」と余裕で対応できた自分を褒めた。
こういった話は、日頃遭遇する「何でそうなん?」の疑問をうまく説明してくれる。有益な話でもないが、理由がわかることでスッキリする。
誰の益にもならない発想は、理性によるものか本能によるものかを判別することは難しい。
飼い犬が拗ねて、いうことをきかないというのに似ているから本能的なものなのか。
ただ、拗ねた飼い犬はかわいいが、拗ねた人間には腹が立つ。その違いはある。
もし、この記事を読む機会があれば、自分の周囲や同僚、部下にも、もしかすると、仕事が出来ないんじゃなく、ワザとやらないという人も混じっているかもしれない。
もし、発見できれば、ご一報くださいませ。