ずる賢い奴になるな

私はこれまでたくさんの人を観てきたので、どうしても運だとかツキだとかがあるように思えて仕方がない。もしかすると思い込みかもしれない。

はっきりしているのは、ずっとうまくいくということはないということだ。だからこそ、何とかうまくやれないかといろんなことをやるのだ。
ズル賢さもそういった戦略の一つであるが、それをよしとしないのが人間である。
家族にズル賢く立ち回る者がいれば、賞賛する人もいるかもしれないが、多くはたしなめるはずだ。理由は説明不要だと思う。

運やツキに見放されたからといって何をしてもいいわけではない。そういった中で私たちは心をどう保ち、どう納得させるかは難しいが、自分に恥じないことは出来るのではないだろうか。

桜井章一さんは著書の「ツキの正体」の中で、内容と勝負の関係について、
○理想的なのはよい内容で勝つ。
○次に、よい内容で負ける。
○その次に、悪い内容で負ける。
○一番ダメなのが、悪い内容で勝つことだとしている。

勝ったとしても、ズルやたまたまはダメだということだ。理由のある結果が大切だということがわかる。

ズル賢い人は、たまたまうまくいっていることを実力だといい、うまくいかなくなると他人のせいにする。他人の実力を自分の実力だと勘違いすることは最悪だ。

ズル賢い人間は必ず理由のある負けで自滅するだろう。その結果は今すぐではなくそのうちだ。
そういった話は自分への戒めとなるが、自分の話が他人の戒めにならないようにしたい。
いつも運やツキは私たちの自己評価に影響を与える。その評価は日々変化するものだ。
しかし、うまくいかない時であっても自分に恥じない行動をしたいものだ。
それでうまくいかないとしても自尊心は守られる。よい内容で負けるなら、運やツキは次こそ見放さないはずだ。

私はやるべきことをやって自分の課題を克服し、それが何に適しているかを知りたいと思っている。
ズル賢く生きる生き方は、他にたくさんの実践者がいるので任せておけばいい。

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