承認欲求に振り回されない心

今日も理性(思考)について書いてみようと思う。

「あの人は承認欲求が…」とよく見聞きする。
「あの人は食欲が…」「あの人は金銭欲求が…」とはほとんど問題視もしないし敵視もしない。
しかし、承認欲求は関心の的になるようだ。承認欲求は単なる心の欲求なのに心理学的なお話かのように思い込んでいる人は多い。しかし、その欲求には他人の心を揺さぶる何かがあるのだろう。おそらく、その根底にある心の働きが気に食わないのである。
常に心の動きには理由がある。
「あの人が承認されることを求めているから理解してあげなくちゃ」とは言わないのはなぜなのだろう。
落ち込んでいる人に対して、求められてもいないのに「一人じゃないんだよ」と近づく人はなぜだろう。

心はいつも「そうすることによって得る利益」が根底にある。
そう言うと「そんなことはない!」と全力で否定する者もいるが、ではなぜそうするのかを考えることはないのである。
心のメカニズムを知ることは心を制御する基本でもある。
そんなことを知ると、承認欲求を満たしたいという行動や言動から人間の心の本質を観ることができ、それに反発する心の働きを観ることもできる。学ぶごとの楽しさを感じるようになるのである。

知らないことは心を動揺させるものであるが、知ってしまえば手品の種明かし同様で何も感じなくなるのだ。

「あの人は承認欲求が!」と強く反応している人は、実は自分の承認欲求がうまく満たされていない人でもある。承認欲求を満たそうとしているライバルが気になって仕方がないのである。
承認欲求自体は有害ではなく承認欲求に反応した人だけに有害になるのだ。
承認欲求は利己的な遺伝子の働きの一つではあるが、うまく制御されておらず未発達である。それをうまく成長させるとライバルを刺激しないで一人勝ちすることができる。
勝つとは「生存と繁殖」を有利にするという意味である。
本能的な心に従うよりも理性(思考)に従って観察していくと、利己的な遺伝子から生じる心の煩悶は消えていく。
他人の承認欲求に振り回される自分を解放する方法でもあるのだ。
先日の記事、「理性vs利己的な遺伝子」の続きとして読んでもらえればうれしい。