人間というものー生き方
人間の生き方は各々あるだろう。それでも共通していることは、動物のように生きるのではなく、人間的な生き方でなければならないのではないだろうか。
そこで人間的とは何かを問わなくてはならない。
地球は人間のためにあるといった人間中心主義のように生きることではなく、先ず、人間社会の中で生きることを考えなくてはならない。
私はアイン.ランドの述べた「他人の犠牲にならない生き方、他人を犠牲にしない生き方」を採用したい。
この哲学は簡単なようでいて難しい生き方でもあるが、人間としての見本、誇り、を手に入れ、心が揺らぐことのない自分を創り上げることができる。
人間は動物でありながらそれらと同じではないことはわかるはずだ。
人間らしくとは何かと問われると簡単に答えられる人はそんなにいない。
多くの人は「他人の犠牲にはなりたくない」とこう思っているはずだ。
しかし、「他人を犠牲にしない生き方」と言われると途端に何のことやらわからなくなるようだ。
人から悪口を言われると憤慨するが、人の悪口は平気で言い、尚且つ「自分は悪くない」と言う。おまけに「そう思うやろ?」と周囲に同意を求めようとする。
他人を犠牲にしてでも自分をよく見せたい心理を克服することは難しい。
常に他人と自分を比較して一喜一憂してしまう心理、求めることはするが与えることができない心理、そういった心理が人間社会で生きることを苦痛にする。
それらを克服することが可能であっても学び取ることは今後もないのかもしれない。
箴言として記憶するのではなく、自分という者を磨き上げることでしか「他人を犠牲にせず、他人の犠牲にもならない生き方」は達成できないのだと気づく。しかし、その努力は人間的であることにも気づく。