思考は治療的でありたい
無目的な思考というのは考えにくいものだ。漠然とした感想でないなら、何らかの目的を設定して思考を始めるものだと思う。
ぼくの思考は、「治療的」な見方をしている。焦点を当てるのは、改善、変更、逆転についてどうすればいいのかということだ。だいぶその世界像が見えてきた。
思考は固定するものではなく変化していくものだ。「頭を使う」という言い方があるが、記憶力の賦活とは違い賦活するのは思考力の方だ。
また、苦悩は思考に強く影響を受ける。思考を変えることが可能なら、苦悩は制御できるに違いない。
心に浮かんでくる「ひっかかり」のような違和感を取り除きたいのだ。きっとどこかに治療的で健常な思考というものがあるはずだ。
おそらく、その答えは簡潔で普遍的なものだと思う。
いつもそんなことを考えている。