人間というものー嫉妬について
西尾幹二は、人は「低く評価されると、こたえる。じくじく気に病む。言った人を憎む。」と述べている。
さらに「作家というものは評価されることに飢えていて、自分の名前が大きな活字になるか否かを気にしている存在だ。」と三島由紀夫の話を紹介している。
そして、芸術や思想の仕事は、各々が自分の評価尺度を主張している。自分こそが真物であると訴えている。」と西尾はいう。
彼らに限らず一般社会においても自分の評価を強く気にする人は多い。
「自分がいなければ会社は潰れるぞ!」と息巻く人や、「自分が休むと大変なことになるやろ?」とズル休みして溜飲をさげる人もいる。
そういった自己評価が過剰になる心は健常ではない。通常、環境へ適応していく努力によってその思いは削られていき、自分とは何かを創造していくものだ。
早熟の天才たちはそこに達するまで生きてはいない。天才という名前が残るならそれを良しとするのかもしれないがどうなのだろう。
画家の高塚省吾が、「画家はたいへん嫉妬深い性格の持ち主」と指摘するのは、少なからず肥大した自意識と過大な自己評価で不安を打ち消そうとする心の代償作用だといえなくもない。
それに比べて信念は、優劣とか成否とかは関係なく「それが何に適しているかを示せばよい」というだけでいい。
アクセルを踏みながらブレーキも踏むような嫉妬心から解放されたければ心について学ぶことだ。これは人間にしか出来ない理性の働きである。