人間というもの: 自分への評価

人間は自分は他人とは違うと思いながら他人の評価を気にする生き物である。

noteは人間社会の縮図の面があると考えることができる。
自分にしか関心のない心は、関心がないはずの他人からの評価を気にするものだ。
関心のない人への関心は自分への評価だ、というのはなかなか面白い。

そうした中で互恵的に記事を読んだり、読まれたりの関係を築くことができるのは特殊だともいえる。

「スキ」の数を稼ぐことに懸命になる人もいる。「フォロー」の数が気になって仕方がない人もいる。
数字が自分の評価を示すかのように振る舞うのである。

人間は、自分は正当に評価されていないと思うのに、他人を正当に評価はしない。

必死に数を追い求めることに奔走していると、その評価は「数を追い求める人」となる。付き合いたいと思えない人となるのだ。

自分の利益を最大限に考える人にも同じ評価を下す。

私は評価されたいよりも、頑張っている人を評価すると決めている。頑張りを評価したいのだ。

こんなことを言うと不遜な奴だと思われるかもしれないが、私が頑張っていることは、他人に評価されなくても自分で評価している。

しかし、他人様への貢献度となると打って変わって自分への評価は低い。努力不足だ。