確証バイアスという確証バイアス

何かを述べるとそれを否定するための材料として「確証バイアス」が使われる。
自分の意見を強固にしてくれる意見を取り入れがちな心理を間違いだと言うのだ。

では、初めから自分に都合の悪い意見を集める人はいるのだろうか。
そして、それを間違っているのに真実だと認めようとする人に出会ったことがあるだろうか。

自分に都合の悪い状況から遠ざかり、都合の良い状況を生み出そうとするのが人間だ。つまり、快から不快へ向かうのではなく、不快から快へ向かうのである。

人間には自動的に推理する力がある。「推論」というやつだ。
例えば、街でいつも見かける素敵な異性に出会ったとする。
何度も顔を合わせるうちに挨拶を交わすようになった。笑いながら話すようにもなった。
自分が好意を抱いていることに気づく。

この状況であなたはどんな推理をするだろうか。
「どうせ…」と拗ねて悪い情報を集めてサヨナラするだろうか。
それよりも「もしかすると…❤️」と自分に都合のよい情報を集めないだろうか。
その数が多ければ多いほどその後の発展に期待しないだろうか。
それのどこが悪いのだろうか。その心理は間違いなのだろうか。
この状況で「自分に都合のいい話を集め過ぎ」と釘を刺すだろうか。
当然ながら自分に都合のいい話が少なく、都合の悪い情報が多ければ、発展は見込めないと諦めるはずだ。

問題なのは自分に都合の悪い情報を無視していないかということなのだ。

「確証バイアスだから間違っている」と早合点すること自体が自分に都合のいい情報になる可能性がある。
「確証バイアスがあるに違いないというバイアス」があることも知っておいた方がいい。

そもそも確証バイアスなどと小難しい心理学用語など使わずに「都合の悪い情報を無視していないか」を問えばよい。
そして、その都合の悪い情報は本当なのかを検証すれば真実に近づくのではないだろうか。

人間は「信じたいものを信じる」のかも知れないが、それだけでは不十分で、「信じたくないものを信じる」ことで思考を終える面もある。

思考は不満から始まり満足で終わらなければ真実には近づけないのだ。
そもそも確証バイアスの心理は、思考の面から言えば、スタートラインに立って一歩踏み出した程度であることを知っておきたい。


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