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間違っていないからといって何もしなくてもいいのではないと思う

「自分は間違っていない」と言いたがる人は多い。きっと、間違うことはとても悪いことで、罪だとすら思っているのだろう。

しかし、間違う。
間違いを修正する能力を私たちはもっている。推論する力がそうだ。

いろいろ試して、また新たに試すことを繰り返すことで、正しさの確率を上げていこうとする。

これは、もともと食料や獲物を獲得するためによく使われていた思考法だろう。

ぼくは自分の間違うことを何度も経験して、人間は間違うものだということを理解している。いくら、間違わないように努力してみても間違うのだ。

ぼくは絵を描く。このことは間違うことを前提として訓練する。「自分は正しい」を防ぐためと、「自分は間違う」ということを自覚させるためだ。訓練なのだ。

絵を描く人ならご存知のように、これで完成だと思っても、すぐに間違いに気づく。ガッカリだ。

しかし、おかげで人の間違いは許せるし、絶対にこうだとは言わない、言えないのだ。「たぶん」としかいえないのが現状である。

仮に「間違っていない!」が正しいとしても、何も変更しなくてもいいということでもない。これから起こり得るであろう「間違い」に警戒するべきだ。

「間違っていないから何もしなくてもい」という考えは間違っている。

ぼくは間違っているのだろうか。

「間違い」は一過性のものだ。「正しい」もそうだ。間違いを正そうとする努力は、必ず正しいに終わるはずだ。

「自分に甘く、他人に厳しく」は良いとは思えない。人の間違いを強く責めて、自分は間違っていないから何もしなくてもいいと思っているのなら、その思考は劣化する。

その厳しい言い方は間違っていないか。責めるタイミングは間違っていないか。他の言い方の方がより正しくはないか。

このことも吟味してもいいはずだ。

ぼくが「正しさ」よりも「健常」を目指すべきだというのはこういうことだ。正しいが故に苦しむということもあるのだということを知っておいてほしい。

「いや、間違っていないからそんなのいらない!」というのなら、自分が間違ったときには、多くの人が批判している「言い訳番長」に成り下がるに違いない。


今日の知恵は、

「間違っていないからといって何もしなくてもいいわけじゃない」