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神経の可塑性は良くも悪くも働く

可塑性と弾力性


可塑性の反対は弾力性だと考えてもいい。
弾力性はゴムボールのように、押せばはね返す力がある。
しかし、可塑性は、押しても戻らないが、粘土のように穴が空いても周囲の粘土で埋め合わせることができる。

神経系は、壊れてもリハビリや再学習によって埋め合わせることができる。それは可塑性という働きが神経系にあるからだ。

しかし、この可塑性は良くも悪くも働くのだ。

たとえば、神経を切断して脊髄への感覚入力を遮断してしまうと、中枢神経は、刺激を欲しさに過敏になるという性質があるのだ。
手がないのにあるように感じる幻肢痛や心理学でいわれる「退屈も刺激だ」にも当てはまる現象である。

また、感覚神経への傷害も可塑的変化をもたらす。特にうまく治療が行き届かなかったり、傷を放置していると、早く治せとばかりに痛みを増強させる。
うまく治療が行き届くと可塑的変化は停止して、健常へ戻っていく。

障害された神経は過敏になる

神経系は、感覚入力がなくなっても過敏になり、感覚入力が過剰であっても過敏になる。神経系が私たちに行動を促しているようにも思える。

そのことがわかると、日頃感じるストレスが消えるものではなく、制御するものであることがわかる。
それには、学びが大切なのだ。

これまでも、運動すること、勉強すること、教養を高める、人間性を磨くことは大切だといわれてきたことも、神経系への働きかけによる健常の維持ということになるはずだ。

心と神経の可塑性


心による神経の働きは、利己的に生きること、繁殖、生存することに向けられていることはたしかなのかもしれないが、神経の可塑性の働きが良くも悪くも働くことで、それを超えた健常さを維持する機能があるようにみえるのだ。

だからこそ間違った感覚の入力をさけ、健常な刺激を中枢に与える必要がある。
この刺激は「思考」も同じ意味である。その選別には哲学の役割が大きいのではないだろうか。

参考文献:
    A R.Møller 脳の可塑性 医歯薬出版