自分で調べ自分で考えているか
あなたは自分で物事を考えているときっぱりと言い切ることができるだろうか。
自分では考えているつもりでも、何も考えずに「あぁそうなんや」と思わされてはいないだろうか。
ほとんどの人は情報と宣伝を混同していると言うと間違っているだろうか。
私のことを「何をそんなに熱くなっているの?」と思うかもしれないが、世の中は奪う者と奪われる者に大別され、奪う者の力は強大である。
ビジネスに携わる人ならマーケティングの力が人間の心理を掌握しコントロールしようとすることを知っているはずだ。
「嘘か本当かわからない」と言う人もいる。
それを解決するなら良い話がある。それには可謬主義を取り入れるといい。
先ず、「いつでも間違う可能性があることを認めた上で、誤りを修正しようとする」ということを前提に考えることだ。誤りを修正しようとする人は意外にも少ないのだ。
物事を考えるには「良い説明の探求」によって行っているといわれる。良い説明とは、その細部を変更すると説明自体が成り立たなくなると言う意味で、変更が難しい説明のことだ。もっともらしい話より少しだけ深く考えればいい。
どんな人でも間違いをおかすことを知っていれば、専門家や有名人の話にも間違いがあることを理解できる。
また、権威に弱いというバイアスを取り除き、自分で考えなくてはならない。
権威に弱いというバイアスは意外にも克服することが難しいという知識は重要である。
権威の言葉を真実だと覚え込むのではなく、常に自分で考えて自分の答えを持たなくてはならないということで克服するのだ。
現代は、noteなどのように個人の意見を述べる場が生まれたことで、考えることはこれまで以上に重要になった。また、多方面から情報を収集することも可能になった。
こういった時代や機会を大切にしていろんなことを考えられるようになったのである。
この機会をよりよく活かすためには、「どう考えるか」という課題を乗り越えなくてはならないのではないだろうか。そして、答えを導き出せたとしても断定するのはまだまだ先だ。そこからさらに考えることである。
奪う者は、奪われる者の心理が「早く答を知りたい」と焦る心理を掌握しているからだ。