人間というもの:哲学
私は哲学を学びたいと常々思っているが、哲学について語る人たちの話を見聞きしていると哲学への関心が薄れてしまう。難しくとらえすぎているのだ。
哲学の定義を哲学者ハーショヴィッツにしたがえば「哲学は考える技術」だとすると、難しいことをさらに難しくする必要はないように思う。
私は哲学を「考えることについて考える」ことだと解釈している。
何かを理解しようとする際、私たちは簡単に説明できるように努力する。
たとえば、「道徳とは何か」という問いに対して「あなたの道徳が社会に浸透した時にどんな社会になるか、その答えが道徳だ」と言われたら、直ぐにはうまく答えられないにしても、うっすらとゴールが想像できるのではないだろうか。
あとは考えることをさらに考えて答えを見出し言葉で説明出来るようにすることではないだろうか。
数ある社会的に何の価値もない個人の好みを「道徳だ」と言ってはならないことがわかるようになるのだ。
しかし、一般的に哲学研究者たちの意見はどうやら違うようだ。簡単にするべきことを難しくしようとし、苦悶する素人を高みから眺めているようにすら思える時がある。
誰にもわからないことをわかったふりをすることで専門家であるように振る舞うのである。
哲学ですらうまく生きていくための引き出しの一つでしかないことは課題のある人なら誰にでもわかる。
現状を変えることの基本には思考を変えることが重要であるが、哲学の本質はその一助になるものだ。だからこそ考えることをもっと考えるべきだと思っている。