なぜ私は、メタ認知のマトリョーシカについて考えるのか
「客観視しろ」「俯瞰しなさい」
客観視する力や俯瞰的に見る力は、現代社会ではなくてはならない要素になっている。自分中心ではなく全体を見る力、別の立場に立って考える力は、特に重要だ。
そしてもう一つ。大事な要素として挙げられるのが、メタ認知である。
メタ認知とは
英語ではMetacognition。cognitionとは「認知」であり、metaとは「もう一次元上の」みたいな意味がある。認知とはわかりやすく言い換えれば「気づき」とも言える。
つまりメタ認知とは、「もう一つ上の次元の気づき」という意味だ。
簡単に言えば、「自分の行動や考えに気づいている」ということである。
メタ認知の使い方
たとえば仕事で非常に疲れているとき、自身が疲れているなと気づくこと。これは立派なメタ認知である。他人から「疲れているんじゃない?」と言われて初めて考えたとしても、それはメタ認知になりうる。
そしてメタ認知は、最高のストレスコーピングになりうるのだ。
「自分の認知が間違っているということに気づいている」というメタ認知
私は小学校低学年の頃から気が付かずにメタ認知をしていた……と思う。それ以前は、まるでADHDのように衝動性が高い子どもだったのに、あるときを境にパタリとなくなっていった。
他人から自分がどう見られるのかというのを考えていった結果に辿り着いたのだと思う。しかし、メタ認知ができるからといって正しい認知ができるわけではない。私が考えていることが間違っていることだって存在するのだ。
しかし、そんなときに「自分が間違っているということに気づいている」というスタンスを取れば、無限の正しい認知をすることができた。
以前、友人にこの話をしたところ、彼はこれをこう形容した。
メタ認知のマトリョーシカ、と。
最強の理論「メタ認知のマトリョーシカ」
正しさを求めるのは難しい。ある出来事に関して正しいと判断しても大体は間違っているのだ。これは人間だから仕方がない。
しかし「君の考えは間違っている」と言われても落ち込む必要はない。「私は自分の考えが間違っていることを知っている」ことに気がつくことができれば、更に先のステップに進める。また「私は自分の考えが間違っていることを知っていることに気づいている」ことに気づくことができれば、さらに盤石になる。
この思考を永遠に続けることができれば、あなたが考えることは概ね正しくなる。
これを「メタ認知のマトリョーシカ」という。みんなもぜひ使ってほしい。
だがあえて言わせてもらう。この理論には自分の心を守る力しかない。あなたの心に降りかかるストレスから開放されるための思考法というのを忘れなきよう。