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なぜ私は小学生の頃に半袖半ズボンで生活できていたのか

 2月ももうすぐ終わり。暦上はだんだん春に近づいてくるが、気温はまったく上がる気配がない。それどころか寒さに拍車がかかっているようにすら感じる。当然外に出る時はダウンは必須だ。だが今思い返してみると、小学生の頃はどんなに寒くても半袖半ズボンだった。

 そう、小学生には気温を知覚する能力がないのだ。

 我々大人は外気温や季節に敏感だ。今日は寒いから何々を着ていこう、春が近いから春物を買わなきゃ、夏で肌を出す機会が増えるからムダ毛を処理しなくちゃならない。そんな事ばかり考えている。私達は、外気温と季節に洋服とファッションを支配されているのだ。だから冬になれば必ずみんな長袖を着て、マフラーをする。もちろん寒いという意味合いもあるが、一般的に社会では気温にそう対応すると決まっているからだ。

 反面小学生は何も知らない。秋物や春物があることなんて知らないし、ムダ毛も気にしていない。暑い時は薄着をして、寒い時は厚着をするという感覚を伝聞でしか聞いたことがない。だから気温の判断が大人とズレる。雪の降っている日に半袖半ズボンで登校ができる。寒いかと聞かれれば寒い。でも本人は聞かれるまで今の状態は寒いと認識できていないか、寒いまでで思考が止まっているかだ。

 これが大人の場合は違ってくる。雪の降っている日に、私は半袖半ズボンで出勤はしない。それは寒いからという理由もあるが、社会的に寒い日は上着を着なければならないと知っているからだ。当然必要がなければ私は半袖ででかけたい。だが社会通念に邪魔をされており、結果的に私の中の小学生は渋々上着を羽織るのだ。

 つまり私達は寒いから上着を羽織るのではない。寒いと服を着るという社会通念があるからそうしているだけなのだ。

 だからみんな。雪の降った日は半袖で遊ぼうな。



 余談だが私は勤務中も白衣は絶対に着ない。それは白衣の裾が地面につくと汚いし、ゴジラが出現してパニックになった場合に踏まれて転倒したり、走りづらかったりするからだ。 

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