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「利他」の意義をシンプルに考える

本屋に行くと、「利他」に関する本を見る機会が増えたように感じます。

自分よりも他人の利益を優先する利他の考えが、コロナ禍を経て見直されているらしいのですが、何となく「利他的でいよう」と言われると自己啓発っぽい印象を受ける人もいそうだなと思いました。

でも、道徳的な意味を抜きにして、利他はシンプルに理にかなっているんじゃないかなと。対義語である利己的な考えは、自分の利益を考えるので対象が自分だけとなり、視野が狭くなります。利他だと認識する範囲が増えるので、意識・認識が広がっていき、より自由に伸び伸び動けるような印象を受けます。

住空間に例えると、利己的な人は自分の部屋の快適さだけを求めるけど、利他的な人はリビングや風呂・トイレなどの共用スペースから他の家族の部屋まで家全体の快適を考えられる、みたいな。後者のほうが自分の部屋を快適にする能力高そうですよね(笑)。

なんで利他が気になったのか。それは、システマに利他の考えが根付いているような気がするからです。システマでは広い視野が求められますし、自分しか見えていない状態では良い動きはできません。サークルアップやシェアの文化も他人との関わりを前提にしています。

個人的な解釈ですが、システマでは利己と利他が一体化しているような印象を受けます。システマは自分のためにやるものですが、自分の学びのために教えたり、感想を伝えたりする行為が、人のためになります。逆に、これらのことを人のためにやっても、自分の学びとして返ってきます。

システマに限らず何でもそうだろ!という鋭いツッコミもあると思いますが(笑)、システマのワークは利他でいないとうまくいかないので、利己的で居続けることがそもそもできません。自分と他人が常に溶け込む感じというか。

システマでは「善い人であれ」「普通の人であれ」という言葉もありますが、利他にも利己にも取れる含みのある言葉だなと思います。頑張って善い人であろうとすると、もうそれは普通じゃないし(笑)。禅問答みたいですね。そんなことを考えました。


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