読書感想文(39)中河与一『天の夕顔』新潮文庫
はじめに
この本を初めて読んだのは多分大学一年生の頃、買ったきっかけはネットで和泉式部の歌を調べている時に見つけたことです。内題と第一章の間のページに「つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天くだり来むものならなくに」という和泉式部の歌が書かれています。これによってヒットしたのです。当時和泉式部に関連する書籍を可能な限り集めていたのでこれも買いました。
しかし内容は全く和泉式部と関係ありませんでした。ただこの本を読んで良かったなーと思ったのは覚えています。具体的に何を思ったのかはあまり覚えていませんが。昨日本棚をちょっとだけ整理している時にこの本を見つけ、久しぶりに読みたいなーと思ったので読んでみました。なぜ読みたいと思ったのかは意識していませんでしたが、これも今読んで良かったなと思います。まあ詳しくは「感想」にて。
ちなみにこの小説は色んな人に読んでみてほしいです。そして感想を聞きたいです。120ページ程度なのですぐに読めます。今後色んな人に勧ていこうと思います。
感想
この本の感想、どう書けばいいのかわかりません。でもいつも通り思ったままに書きすさんていこうと思います。
まずこの小説が明らかに自分の恋愛観に影響を与えているということについて。私は中学生の頃に「好きな人を幸せにする事は一生を賭けるに足る」と思っていました。多分「一生を賭けるに足る」というフレーズは高校生の時読んだ坂口安吾「ラムネー氏のこと」の影響なのでそのままの文言ではなかったと思います。しかし少なくとも恋愛を結婚後までとセットで考えていました(その論点から「自分はこの人を恋愛対象として「好き」ではない」と結論付けたのが中一の夏休み)。
そんな昔から恋愛に対して高い価値を置いていたわけですが、いつまにやら幻想か何かかと思われるほど崇高なものとして考えてしまっているのはこの本の影響が大きいかもしれません。恋愛に対する考え方の一つに宗教のアナロジーとして恋愛を考える方法がありますが、この本には好きな人を「神格化」していると書かれています。「恋と宗教のアナロジー」というテーマは多分高校の頃に始まったはずなので根源的な影響ではありませんが、大学一年生の時にこの本を読んだ私は「神格化」という表現を見てテンションが上がったことだろうと思います(全く覚えていませんが)。
私はこの本を読んで、二人の登場人物に共感しました。特に主人公の男。ここでわかりやすいように本文を引用してみます。
逢いたい。しかしそうすることはあの人に苦痛を与える以外の何事でもない。
これは端的に言うと、自分よりも相手を優先しているということです。私にとって恋において最も重要な事です。極論として「自分の幸せ」と「相手の幸せ」を競わせた時、「相手の幸せ」を優先する事ができることが恋の必要条件と言えます(尚、「相手を幸せにする事が自分の幸せである」とすると優先される事項は循環し続けます。これを「恋のパラドックス」と呼んでいますが、その極限を取った時に「相手の幸せ」に収束するイメージです)。
もう一つ引用します。
そしてわたくしの心の中にあるものは、どんなに自分を苦しめてみても慰めてみても、やはり最後にはあの人にゆくより仕方がないということでありました。
これは端的に言うと、「全てが恋になる」ということです。私の中の恋愛思想史における恋愛の位置付けについて、一番初期の段階として「恋愛集合論」というのがあります。これは「恋愛集合」と「全体集合」をかけた言葉遊びであり、つまり先に述べたように「全てが恋になる」ということです(ちなみにこのフレーズは高校の頃に知った「すべてがFになる」より(未読)。高校での恋が始まる頃には「三柱論」という段階に入っていましたが、この思想史を頭の中でまとめたのは高校の頃だったため)。じゃあ「全てが恋になる」というのはどういうことかというと、全ての行動は恋の為に、という感じでしょうか。この頃の私のモチベーションは100%恋です(そのため「恋愛集合論」を「100%恋愛論」とも言う)。例えば勉強して成績を上げたいのは何故か?勉強できないよりできる方が良いと判断される傾向があると思うからです。当時「好きな人」が概念として強く存在しながら具体的な人物像が無かったため、あらゆる事に対して向上心が必要とされました。つまり、どんな人を好きになってもいいように、です。その中で外見に関する視点が完全に抜けていたのは結果主義というか、「外見が良いから何?」と本気で思っていたからだと思います。それはともかく、頑張るのは全部恋のため、です。これをもう少し広げると、引用した部分と同じことになります。頑張るとか頑張らないとかだけではなく、全てが好きな人を軸に回るということです。例えば就活をしていると何でも就活に結びつけて考えてしまったりすることもあるかと思います。それと同じものだと考えればわかりやすいのではないでしょうか。
先に書いた通り、これを読んだのは大学に入ってからです。なので時系列から考えて私の恋愛観の根本を作ったのがこの作品だとは言えません。しかし元々あった根本とこれほどまでに共感するのかと驚きました。今後、恋バナをする時には「私の参考文献」として「図書館戦争」シリーズと共に挙げたいと思います。
さて、もう一つ別の点からこの本の感想を書いておきます。先日のnoteに書いた教養が大切であるという視点から考えると、「解説」の話が注目されます。これも一部引用します。
今日における浪漫主義の見識は、共産主義とアメリカニズムを排斥するところにある。それはあながち我々日本人の浪漫主義特有の思想ではなく、世界に共通する保守的文学は、人間性の美しさ、理想の情緒、魂と道徳と愛の権威を樹立し、献身と宗教的自己制御の感情を尊ぶ点で、人間を機械化する今日の二つの傾向と機構に反対するのである。(中略)人間を機械化し、ものごとをーーー恋愛さえ簡便に事務的に解決して満足であるということは、極端な人間性の衰退であり、合理性や実用主義とも無関係である。
ここから書いておきたい事が三つあります。一つ目は教養の大切さです。この文脈はこの作品の発表年、その年の社会情勢を知っていなければ深く理解する事ができません。ちなみに私は深く理解できない側の人間です。これをきちんと理解する為に近現代史の教養が必要になるわけです。二つ目に文学の意義です。人文学が役に立たないと軽視される風潮のある世の中ですが、自然科学も役に立たなさそうな事はやっていると聞きます。逆に、自然科学と同じように人文学も役に立つことをやっているのです。ここでの「文学」とはこの作品の位置付けを行なっている事、そしてその意義とは人間の在り方を考え直させることです。この具体例を以てすればとてもわかりやすいと思うのですが、いかがでしょうか。三つ目は少し身近な話。中略以後の一文をわざわざ付け加えたのは特に「恋愛さえ簡便に事務的に解決して満足であるということは、極端な人間性の衰退」という所が引っかかったからです。「人間性の衰退」という所まで認めるかはさておき、この部分が刺さる人って結構多いんじゃないかなと勝手に思いました。「合理性や実用主義とも無関係である」という点について、社会人になったらどうだろう、人間性云々よりやはり合理性や実用主義が関係してくるんじゃないかなと思います。しかし中学、高校、大学生の恋愛は人間性の衰退ということが大きく関係しているような気がします。これは「さとり世代」と呼ばれることと通じる所があるのかもしれません。
以上、120ページの短い小説ながら大変意義のある読書となりました。まあ、一番大切なのは楽しい・面白いということです。つまりこれは「娯楽の中にある学び」です。文学研究の意義を考えなくとも、まず文学作品を読む事がいかに意義のあることなのかという事がよくわかります。その為に文学研究が必要なんだ、という論点も面白いなと思います。
おわりに
この作品を読み終えて、江國香織『東京タワー』を読みたくなりました。確かもう少し本能的というか、宗教的に厳格な態度はなかったように記憶しているのですが、ちょっと雰囲気が似ていたような気がします。近いうちに読もうと思います。