読書感想文(21)有川浩『キケン』
はじめに
この作品を初めて読んだのは多分中学生の頃です。そのあと2,3回読んだような気がします。もしかしたら大学に入ってからも読んでいるかもしれません。ともかく有川浩の作品の中で「図書館戦争」シリーズ、『植物図鑑』に次いで読み返している作品です。今回読もうと思ったのは、そういえば工学部に憧れたのはこの作品の影響もあったなぁと思ったからです。進路に悩む今、読んだら何か違うことを思うかなぁと思って読んでみました。
感想
何度も読み返しているので内容は覚えていましたが、
やっぱり楽しかった!!!!!!!
もう、とにかくこれに尽きる。バカみたいな先輩に率いられて、とにかくがむしゃらな青春です。いわゆる男の友情というか、ちょっと違うかな、男ならではの無茶苦茶さというか、んー、みんなで無茶苦茶なバカをやるのがとにかく楽しそうで羨ましかったです。私は真面目で勤勉な大学生ですが、ネタも全力でやりたいタイプだと思っています(真面目で勤勉な大学生ですが)。そして明らかにそれはこの作品の影響を受けています。読む前からそんな気はしていましたが、読んでみて確信しました。
ところで、本作は大学生の話です(もう四回生なので年下ですが)。では憧れた大学生活はどうだったのか、自分の大学生活を振り返ってみると、まあまあ面白かったんじゃないかなぁと思います。研究会は二つ入ってどちらも会長を務め、サークルはかるたサークルに入って、古典サークルは自分で作り、学外の勉強会に行ってはその先生の元でアルバイトをし、ああアルバイトは塾とカフェと研究のお手伝いと派遣かな、視覚障害者のかるたにも関わり、あと美味しいものもいっぱい食べたし、みんなで巨大パフェ食べたのはバカ度ランキング割と上位かなぁ、博物館や観光地も色々行ったし、ああ博物館は重要文化財の資料調査とかもやらせてもらったし、んーあともっと大学生らしい事といえばレポートに追われて一晩で六つ片付けたこともあったし、ノー勉でテストに挑んでみたらDでギリセーフだったり、唯一の落単は体育の実技だったり、探せばもっとありそうだけれど将来ネタには困らないなぁと思います。
ただ、やっぱり「キケン」に比べると劣るなぁと思ってしまいます。いや、自分の人生が劣っているなんて悲しい言い方ですが、なんていうか、敵わないなぁという感じです。学校で爆発を起こすことも先生に追っかけられることも、ラブレターを貰って付き合って破局することもそれを慰める飲み会を開くことも、学祭で地獄のように働いて100万稼ぐことも、ロボットを作って爆発を起こすこともありませんでした。
この作品を読む前から、一つ気になっていたことがありました。それは成南のユナ・ボマーこと上野直也が結婚後にぱったりと火薬遊びをやめたことです。最後の最後に会話の中で出てくるだけの情報ですが、これが案外自分の中に印象強く残っていました。私は全力でネタを楽しみたいタイプですが、どこか「普通」から外れ過ぎることを恐れているような気がします。それは多分、この「いつか終わる」という現実を先に意識してしまっているからだと思います。今、楽しいけれど、それはいつか終わる。今どれだけふざけていても、社会人になったら世間の目が厳しくなる。だったらせめて今のうちにやっとかないか。そんな風に思っているから、常に予防線を引きながら、というか命綱をつけながらちょっとした冒険をしようとしていました。でもその冒険は所詮子どものお遊びでした。例えるなら、私の冒険は家のお庭遊び、「キケン」の冒険はバンジージャンプです。ちょっと情けなくなりますが、踏み越えてはいけない一線をまだ自分の中で確立できていないので、やはり自己責任を取れる範囲でしか行動できないなと思います。だから、自分の大学生活は「キケン」には及ばなかった。わざわざそんな風に否定的に捉えなくても、とも思いますが、どっちかというと「負けたなー、ちくしょー」という感じです。
こうやって振り返るのは、もうすぐ大学生活が終わるからです。もうすぐ、大学生活が終わります。でもまだ、時間はあります。大学院に進むとしてもあと3年弱、その間に自分は何をできるでしょうか。幸い、色々な事を経験することができました。そろそろその経験を活かして、なにか面白いことをやりたいです。でもその為にはアイデアが必要です。そして大きいことをやるためには仲間が必要です。やっぱり「仲間」かぁ、と思います。結局自分が憧れるのはこれなんだろうなぁと思います。みんなで一丸となって何かをやること。これは現実にもよくあるようで、実際はそうでもないことが多いです。わかりやすいところで言うと各々のやる気が違います。この作品で言えば学祭の話がわかりやすいですが、例えば現実の学祭で「100万売り上げ出すぞ!」っていう面白いことをやろうとしても、多分全日フルで働いてでもやってやろうと思う人は多分そんなにいないと思います。だから現実でこれを達成するにはみんなが本気で取り組める何か、というより本気で取り組みたい何かでなくてはなりません。しかもその本気の基準がみんな同じでなければなりません。ここまでくると、現実では無理かなぁという気もします。でも、残念ながらそれを身近に知っています。現実にも起こり得ることはわかっている、だから力と運があれば必ず面白いことができるだろうと思います。ただ力を身につけるにはそれなりの覚悟が必要で、そこに踏ん切りをつけられないのが自分の情けないところです。やっぱり「普通」を先に見越してしまう。そんな生半可な気持ちじゃ、まあ面白いことなんてできないだろうなぁと思います。何かきっかけがあればなぁ、なんて思ってしまうのも情けないところです。元々人を引っ張っていくタイプではないので、面白い人と一緒に何かをやるのが多分一番現実的です。実際今もそれで面白いことに関わらせてもらっています。しかし余りにも自分との差がありすぎて、やっぱり自分がやっているという感じがしません。あまりにもだらだらと続いているのでそろそろ締めます。この作品を読んで「何かやりたい」と強く思いました。でもその「何か」は面白い人が必要で、その人たちによって「何か」は決まります。そんな面白い人たちに出会うためには、やっぱり色々なことに手を広げるのがいいのかなぁと思います。だって例えば工学の話に文学を持っていったら面白いことになりそうじゃないですか。また長く続いているので切ります、私は面白いことがやりたい、それだけです。
さて、卒業に関していえば、この作品は卒業10年後の主人公の懐古という形をとります。そして最終章で、大人になった主人公の話になります。そこで主人公の内面描写を読みながら、どうしようもなく胸が熱くなり、涙が溢れました(電車だったのに)。
もうあの場所は俺たちの場所じゃないんだ。
きっと、私も同じことを思う日が来ます。
「なあ、今年の学祭行ってみない?」その一言は誰も言い出さない。
言ってみたところで、もし相手がわざわざ会う時間を作るほど『あの頃』に執着がなくなつていたとしたら?
自分と他人の温度差を確認するのは怖いことです。卒業10年後、いや5年後でも、「久しぶりに同窓会しようよ」なんて言ってみて、何人が集まってくれるのかなぁと思います。でもその時、「会いたいな」という気持ちを起こるかどうかはまさに「今」にかかっているのだと思います。今なんだよな、今しか無いんだよな、みんなで思い出を作れるのは。あともう一年も経たないうちに、卒業してしまう。やっぱ、なんか面白いことやりたいよなぁ。
そういえば中高で仲の良かった友人たちは卒業後4年目の今もそこそこ高頻度で会うし、バカみたいなこともできそうです。でもそれはまだみんな学生だからだと思います。院進する人が多いですが、少なくとも二人は就職します。就職すると多分、今みたいに会えません。さらに数年後、結婚したらもっと会いづらくなります。そして「社会人」として、バカをやる側ではなく、思い出す側になってしまいます。やっぱり、今なんだろうな、と思います。
おわりに
とにかく、何かやらなきゃいけない、と思うと、課題なんてやってる場合じゃないなと思いました。
こんなことに時間を割いている場合ではない。課題なんてさっさと終わらせろ。あとは全力で遊べ。大学は学問をするところだ、なんていう綺麗事は日本ではないどこかの話か。学問に限らず、やりたい人がやりたいだけやればいい。大学は手段の一つであって、その使い方を他人に決められてたまるものか。
あと1年弱になるか3年弱になるかわからないけれど、ともかく全力で楽しんでやろうと強く思った。
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