note始めた動機
昨年に元農政次官が引きこもり息子を殺した事件を知り、ずっと気になっていた。
私(現在46歳)は5年前に同居していた母(当時68歳)が問題行動を繰り返し、2ヶ月程振り回された挙句に母を精神科の救急閉鎖病棟に医療保護入院(本人の意思とは関係無く家族の意向での強制入院)をさせる事が出来た。その経緯を綴り同じように病んだ家族の問題で悩んでいる方の何かのヒントになればと思っている。
入院後に分かった事だが、元々母は幼児期に実父を事故で亡くし叔母の養子となったせいか愛情不足と思い込んでおり、軽いコミュニケーション障害だった。
故に、母世代や前後の方と娘さんとの関わり方を聞くにつれ
『あれ?学校等の入学卒業式は手続きあるから来てくれたが、誕生日祝、成人式、入籍などの節目の祝いをして貰った事が無かったな〜』と変な人だと気付いた。
今思えば母は家事が苦手なのを何とかこなしていたのに幼い私や弟の子育てしながら自営業の父の手伝いや、父が会社員になっても転職を繰り返すのでパートに行かねばならず、仕事も要領悪くて精一杯なのに、コミュ障で人間関係も上手く行かずに苦労していたと思う。
そんな母に目をつけたのはパート先で知り合った母より一回りほど歳上の女性。戦後に成長した日蓮宗系の新興宗教団体の信者さんでもあった…
母はその宗教にハマり、父が仕事で行き詰まった際に入信を勧めてしまい絶望した父はアルコールに逃げた。アル中の自責の念から勝手にアル中系の犯罪者が治療受ける特殊な病院に入院して薬漬けになり、転院するも改善せずに自殺した。
私は結婚して実家出るも2年足らずで離婚して実家に戻っており、父のこの入退院の様子も見ていた。母は葬儀屋に連絡するものの、段取りは出来ず殆どを24歳の私がして、家の名義変更等も私の幼なじみ実家の司法書士事務所を紹介した。
家ローンは母名義分が3分の1残ったが、父の死亡保険金等で完済。生命保険の自殺は病気死亡扱いで交通事故死の半額だったが、免責期間過ぎてたので支払われたのは幸いやった。
2つ下の弟は結婚で家を出たので、母と2人暮らしで17年の時が過ぎた。母は私に対して愛情表現は薄い割に、変な所で依存心が強く過干渉で面倒な人だった。母が65歳過ぎて年金受給するようになりパートを辞めてから、特に酷くなり宗教活動も活発になった。
そして2015年10月14日に私が国道で派手に追突交通事故を起こした。幸いにも私と前2台の運転手も外傷は無く、車の損傷補償と多少の通院治療を伴うもので私の自賠責と任意保険で対処出来ると思われる状況でした。
しかしここから、母の妄想〜暴走劇場が開幕するのであった…
続く
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