ぺどら

2019.9迄8年事務職の契約社員しながらネイリストしてましたが、元農政次官の息子殺人ニュース見て気になったので、5年前から母を精神科に入院させた経緯や、退社時に時間外手当ての請求で労基介入した話、自治体との上水道加入交渉についてとかレアな経験を綴ります。糖質制限者、寺社参拝系

ぺどら

2019.9迄8年事務職の契約社員しながらネイリストしてましたが、元農政次官の息子殺人ニュース見て気になったので、5年前から母を精神科に入院させた経緯や、退社時に時間外手当ての請求で労基介入した話、自治体との上水道加入交渉についてとかレアな経験を綴ります。糖質制限者、寺社参拝系

最近の記事

母が医療保護入院になるまで~5

このシリーズ締めくくりは転院先の任意入院から再び医療保護入院になる までと、私の退職による健康保険の選択を誤って大失敗した話を綴ります。 転院して半年程すると環境に慣れたらしく、容態が安定して服薬が減り 他の患者さんはほぼ全員が眠剤を要求して服用していたそうだが、母は それが無いせいか、入院治療の対象から外れそうとの事で相談員から 退院か介護施設への入所を勧められるようになった。 まず自宅療養は私が仕事で早朝~夜と外出している間、母に火元管理が 出来るとは思えない。入院前も

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    • 母が医療保護入院に至るまで~その4

      案内された転院先は地元で私の職場からも激近だったので、迷わず決定。 調べると医療・介護・緩和(終末)とほぼ老人医療の全てがある医療法人。 後年に緩和病棟に入院されたネイル顧客がおられて出張ネイルで行ったが 新設の施設は見舞客用に畳の小上がりトイレ・シャワー付きで木材を ふんだんに使った広い個室のみで、リゾートホテル風ありながら室料は 安いらしい。 独身で頼れる家族がおらずアラフィフに突入すると、母の医療が優先だが 自分の終活も意識せねばならん。地元に最期を迎えるのに良さげな

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      • 母が医療保護入院に至るまで~その3

        安心したの束の間、2ヶ月を過ぎると入院先の相談員から救急の病棟なので 3ヶ月をメドに退院か転院と言われた。 相談員には転院先を探して貰いつつ、私も包括支援センター窓口で相談するも、介護系の老人福祉施設になるので月々20万近いし、安価な特別養護施設は母の年金が薄く住民税非課税でも一定所得のある私が同居で、要介護レベルがまだ低いので申し込みすら受付されない。もし申し込みしても自治体の介護支援部署の審査(要介護状態、所有資産・所得や親族の有無)がある。 当時は隣町にしか特養施設がな

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        • 母が医療保護入院に至るまで~その2

          精神科の入院には本人の意思による任意入院と、 自傷・他傷の恐れがある場合は家族の意向で 本人の意思に反しても強制的に入院させる医療保護入院がある。 警察沙汰になれば現場から救急閉鎖病棟に搬送されるようだが、 しかし今回の入院は家族が母を連れて来なければならない。 出発前に地域の民生委員さんから入電。市の包括支援センターに相談行ってたし、母の問題行動は民生委員の耳にも入っていたようで連絡をくれたが母の手前、入院とは言えず、今から病院なので大丈夫です!とやり過ごす。

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          母が医療保護入院に至るまで~その1

          はじめは5カ月前の5月GWに、母が佐賀~静岡の新興宗教のバス旅行から帰ってから様子がおかしく、夕方に出先でのネイル前に母がたいそう不機嫌に電話してくるもネイル仕事を理由に即電話を切り、夜に帰宅すると寝ていた筈の母が起きてきて、いきなり金属と樹脂の硬いボトムハンガーで襲って来て、何事かと取り押さえると、私が母の留守中に通帳を盗ったと騒ぐ。 もちろん全くの濡れ衣。 友人知人に相談し、弟も同行して地元の脳神経外科でMRIを撮ると歳相応の脳で認知症特有の脳萎縮は無く『せん妄』との診

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          母が医療保護入院に至るまで~その1

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          note始めた動機

          昨年に元農政次官が引きこもり息子を殺した事件を知り、ずっと気になっていた。 私(現在46歳)は5年前に同居していた母(当時68歳)が問題行動を繰り返し、2ヶ月程振り回された挙句に母を精神科の救急閉鎖病棟に医療保護入院(本人の意思とは関係無く家族の意向での強制入院)をさせる事が出来た。その経緯を綴り同じように病んだ家族の問題で悩んでいる方の何かのヒントになればと思っている。 入院後に分かった事だが、元々母は幼児期に実父を事故で亡くし叔母の養子となったせいか愛情不足と思い込ん

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