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小麦を蒔く その5

私:「こんにちは、お世話になります。先日は麦の種を譲っていただいてありがとうございました。ちょっとご相談がありまして。今、お話ししてもよろしいですか。実は穂が出てから麦が半分以上倒れてしまっていて、これは一体どうしたらいいのでしょうか」

手前が倒れていない状態の麦

麦の先生Tさん:「うちの麦も八割は倒れてますよ。原因はなんだかわかりません。まあどうしようもないので、これはこのままで穂が赤くなるまで置いておくしかないでしょう」

私:「倒れているのはそのままでいいんですね、なるほど。それと麦刈りの後、乾燥させる作業をするにも干す場所が足りなくて。お力をお借りできませんか?」

Tさん:「はざかけってやり方があります。麦が生えていた畑に、刈った後、束にして穂を上にして『人』の字みたいに両側から支え合うように立てかけておけばいいですよ。ビニールシートを上からかけておけば雨が降っても大丈夫。あと2・3週間後くらいに穂が赤くなってきたら下の方が緑でも早めに刈ってしまえばいいと思いますよ」

本当はコンバイン(穀物の収穫・脱穀・選別をする農業機械)で収穫したら乾燥まで一気に機械でできるが、うちの実家にはない。Tさんにお願いしたいところではあるが、もう少し手作業でできる段取りをして、それから自分ではできない分を依頼してみようと考えていた。足踏み式脱殼機や唐箕(脱穀後に殻などを風で飛ばす機械)はネットでも買える。安いものならちょっと無理をすれば買えない値段でもない。購入するのもいいかも、と思いつつ、近隣のお役所の農具使用についても問い合わせをして脱穀の準備を進めた。

麦作りは穂が実って刈り取りから脱穀し粉にするところまでがとても労力のかかるプロセスのようだ。ここからの作業が肝心だ。

5月23日 小麦色に近づいてきた

父の好物の馬刺しを手土産に、刈り取りから脱穀までの段取りの相談をしに行った(父の畑を借りている手前)。

私:「足踏み脱殼機ってあるでしょう、買ってみようかなと思ってるんだけど、納屋に置かせてもらってもいいかな?」

父:「邪魔だよ。脱殼機ならお祖父ちゃんたちが使ってたよ、捨てたけど」

私:「…まあ古い洗濯機を捨てるようなもんだもんね。使わない機械があってもどうしようもないもんね。…でも、畑の隅っこに置くとかさ、ダメかな」

父:「ダメ。雨ざらしは錆びるし。それに脱殼機にかけたあとも作業が大変なんだから。箕(ザルのような道具)でふるいにかけてゴミや小石と選別して、そのあとムシロに広げて天日干しで乾燥。乾燥されていないと脱穀所で引き取ってくれないし雨が降ったら濡れないようにしまわなくちゃいけないし、カビが生えたらもうダメだし、お前はここに住んでいないし、取り込みとか量が多いととにかく大変なんだよ」

私:「私やるよ、数日泊まり込みでもいいし、助っ人もいるし。脱穀作業やってみたいって人、周囲に何人もいるからさ」

父:「少しならまだしも量が多いと骨が折れる作業だから、素人には大変。少量だけ手作業でやることにして、あとはコンバインで一気にやってもらうようにしなさい。どうせ麦栽培と脱穀をちょっと体験したいって言ったって、その程度なんだろう?別に本業じゃないでしょ?だったら少量で手作業にすれば十分だし脱殼機なんてリースでいいじゃないの」

父はかなり声のボリュームが大きくなっていた。私はなんだかモヤモヤしてきた。そんなに声を荒げなくてもよかろうに。

私:「…元々農具は借りるつもりで色々なところにすでに聞いているし、お父さんのご意思は尊重するつもりだからもちろん勝手に脱殼機を買って置いたりはしません。おっしゃることもごもっともだと思います。だけど、なんでそんなに押し付けるような言い方をするの?大変なのはわかってるけど麦を作ってみたいっていう前向きな気持ちを上から押し潰すような。できる限りは手作業でやってみたいってだけだし、別にこの小麦で儲けようとしているわけじゃないんだから。本業でなくても他の仕事しながら農業やる人も増えてるし、完璧にできなくたって出来が悪くたっていいんだよ」

父:「いいもん作った方がいいに決まってるでしょうが」

私:「それはそうだ。でもこれからの農業はできた農作物だけでなく、もっと体験も売って行くべきだと思うよ。素人にはあんまりやらせないで簡単なことだけちょっとやらせておけばいい、それじゃつまらないよ。農機具だって使わないならヤフオクやメルカリで売ればいいし。時代は既に変わってきているんだからさ」

父:「…別に押し付けてはいないでしょうが」

私:「脱殼機を置くのが嫌なのはよくわかった」

父:「いや、〇〇(私のきょうだい)が冬用のタイヤを農作業小屋に勝手に置いて行って、あれは片付けるのに重くて苦労したからさ、ああいうのは困るんだよ、本当に…」

私:「タイヤを置いたのは私ではないよ。それって冤罪…」

都市の中にある畑だから農具類の放置は周囲の住民の目も配慮せざるを得ない父の気持ちもわかる。今までの経験から素人にいじられると後々尻拭いをさせられるのにもうんざりしているようだ。

でもやはり「土を触りたい人」と農家との考え方の違いが大きいこと。実際の慣行農法(化学肥料や農薬などを使用する一般的な農法)の農作業だと、いかに効率よく味も見た目も良く上手に作ることが重要。その方が売れるから。設備も規模が大きくなるとトラクターやビニールハウスなど高額の予算が必要になってくる。暮らしを立てる=効率化。経営者としての側面もありすごく現実的だ。もちろん農業でお金を稼ぐことは真っ当な行いだ。

一方「土を触りたい人」は、種を植えたり水を撒いたり野菜をもいだり太陽の光を浴びたり地中の菌と語り合ったりしたいのだ。そこにはそれぞれの理想やイメージや夢や希望があると思う。それももちろん良いことだ。でもスーパーに並んでいる見た目のキレイな野菜だって消費者がそれを選んでいるからこそ置かれている。土のついた野菜の方が味も鮮度も保てるけど、仕事帰りに泥だらけのゴボウを買ってお仕事用の服を汚すのは嫌だし帰宅してから泥落としして細かく切って…なんてやる時間も気力も余力もないし無理なのは私も同意する。だからこそ、全体的に消費者としてもこれからは野菜の買い方や選び方も変わっていけるといいなと思う。

都会と田舎、生産者と消費者、既存農家と畑をやりたい人。どの軸でも私のどっちつかずな立ち位置がもどかしい。父の畑でジタバタと試行錯誤をしているこの小さな農業が、武蔵野でできる農業のうちの一つの形態であるし、今の私にできる仕事なのだ。東京でも自然農法でやっている農家さんも少なくない。でも、考え方の違う父とあれこれ食い違いながら麦を育てるのも、今しかできないことなんだと思うと、これはこれでいいのかもと思えてくる。理想と勢いで突破するのではなく、目の前の現実を受け入れながら、夢も希望も忘れずに、少しずつ進んでみるとしよう。

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大石慶子
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