ファームとお豆と全粒粉=私の食卓#4読書感想文
カナダの美しい自然と、豊かで温かみのある人間模様を描いた名作『赤毛のアン』。
著者モンゴメリは、続編も含めた作中のいたるところに、料理とその情景を散りばめており、
古き良き時代を偲ぶ、再現レシピ本が出版されるほど、料理通にも親しまれています。
心をこめた品々が作り出される台所は、神聖が宿るとされ、
段取り良く手際良く、または食べてくれる人を喜ばせるために、真夏でも当たり前のこととして、薪ストーブを焚き、料理していたのです。
電子レンジなどの調理器具や温度調整もラクな現代では想像しながら読むしかありませんが……。
私もその名残りと思って、手抜きせずに、毎日の食卓をできるだけ丁寧に作るようにしています。
今日はアン・シリーズの中で、私が最も好きな人物について書きます。
それはシリーズ後半に登場する、住み込みの家政婦、オールドミスのスーザン。
6人の子持ちで多忙になったアンを助け、家族同然の存在である彼女は、
その土地で一番の料理上手の設定で、
私も台所に立ち、彼女の作る料理やお菓子に思いを馳せていると、
自分ひとりでは、とても出来ないものまで作れるような気がします。
ほんの一例を挙げると、
日々の楽しみに、ビスケットやドーナツ。
子どもたちには、お猿の顔形クッキー。
医師として激務をこなす主人、ギルバートのために取っておく夜食が、季節のフルーツをのせたパイ。
チャリティーに出品する金銀ケーキや、
婚礼菓子まで。
また彼女は、掃除や編み物、染め物、繕い物、着飾るための服作りまで。
庭仕事に、男手が不足すれば畑仕事までこなす、
白髪頭のスーパーウーマンです。
年齢的にも私よりかなり上なのに、
バイタリティーの塊で。
ただひとつ、玉にキズは、
器量良しでなかったためか、求婚されずにオールドミスになったことでした。
女性の幸せといえば結婚だと頑なに信じられていた時代です。
彼女は卑屈にもならずに、自分の結婚願望を公言し、その思いを大事にします。
家庭を持つ憧れへの結末は――、
アン一家の切り盛りを任されたことと、
産後の肥立ちが悪く、起きられないアンに代わり、三男坊の世話を自らができて、
その子がべったりと自分に懐いてくれたことで満たされます。
それは輝く女性に見えたでしょう、
そして、求婚される。
しかし、相手の魂胆、家政婦を雇うが如く、
愛がないのが見え見えで、
激昂した彼女は、煮え立った染料鍋(たぶんヘドロのような)を持って相手を追い回し、撃退します。
後悔もなく。
二度とそんな男性が現れないように。
その後、アンに休暇を願い出る。
彼女は、ひとりでハネムーンへ出かけたいと言うのです。今まで旅行したことがなかったのを理由に挙げていて、それ以上の説明はありません……。
ですが、実は自身の結婚願望を終わらせるためだったような気がして、
思い切りの良い人生に、清々しく思います。
私は日本語訳で読みましたが、
訳者の村岡花子女史の美しい日本語も、合わせて堪能できます。
人生の節目に読みたい本!
(私は化学療法中の3ヶ月間で全10冊再読し、この感想文を書いています)
最後に、
主人公のアンは想像力豊かな女性ですが、
私の想像力を掻き立ててやまないのは、村岡花子女史が表現した、
スーザンのセリフで「パンを仕掛ける」という言葉です。
もちろん「パンを捏ねる」「パンを打つ」という言葉も使われていますが、「仕掛ける」って?
何かを「やりかける」ときの表現でないのは確かです。彼女はパンをやりかけで外出したりしません。
現代では「時限爆弾を仕掛ける」ときにしか「仕掛ける」を遣わない気がしませんか?
それは、精巧に丁寧に準備することを、言い表す機会が減っているのかどうか判りません。
また、村岡花子女史が、カナダ人宣教者のパン作りを実際にご覧になっての表現かも、私たちは知りようがありません。
しかし、この意味でパンを作るとき、言い得ていると思います。
なぜならパンを作るとき、
最初は手がベタベタ、時間もかかる。
生地の温度や熟れ具合など、
「赤子泣いても蓋取るな」のご飯炊きと違って、
目で見、肌に触れて、確かめながら、
より一層世話のかかる、一連の工程があるからです。
そんな手作りの世界に、時限爆弾のエッセンスも加え、
ちぐはぐな可笑しさに、ほくそ笑みつつ、
私もパンを仕掛けます。
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