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parkERsとPHDと中道

昨日はチョー久しぶりにparkERsオフィスを訪問させてもらう(ああやっぱりいいな。オフィスも人も雰囲気も好きだよparkERs!)。
先週、東急さんの<SOIL>というコラボレーションスペースには行ったものの、まだまだ「オフラインで人と会う」ということに頭も体も馴染んでいなくて、緊張とは違うんだけど、しばらくの間はなんだかぎこちなさを自分自身に感じていました。

で、parkERsさん訪問の目的は、原さんとの「ぱちはらダイアログ#12 w梅澤さん」開催。原さんとも梅澤さんともリアルに会うのはロックダウン依頼でした。嬉しくなってはしゃいじゃいそうな自分をちょっと自重。

PHD(と今、略すことにしました「ぱちはらダイアログ」)の中身は興味ある人には動画を見てもらうこととして、今日はそこでもちょっと触れた中道の役割りについてもう少し考えてみる。

それにしても、おれが中道の良さというか、役割の重要性について考える日が来るとは…。むしろ中道をディスるようなタイプだったのに。変われば変わるものだな、世の中って(おれじゃなくて世の中がドラスティックに変わりすぎなんだと心から思うよ)。

で、中道だけど、接着剤なのか大きな包み紙なのか、どう捉えるかは自由だけど、そういうものの価値が本当に高まっていると思う。
だってこれだけ「違う」ことを前面に押し出して、それで押し通そうとする人が増えてしまったんだもの。
正直に白状すれば、それって10代20代のおれなんだよね…。数が少なかったから、そういう人間がいてもどうにか受けいれて貰えてた。社会の「変わった人」に対するバッファーが今よりはるかに大きかったからね。

でも今や、そっちがむしろ多数派なのかも? って状態だ。少なくともアメリカでは。まあ日本も大きな差はなさそうだけど。

言いたいことは、包括するものの大切さが増しているということ。役割が大きくなっているということ。
だってアメリカも日本も国を分割できないでしょう? 
アメリカをドーナツみたいな形の2つの国にする? 日本に2つの違う国に別れる覚悟がある?
できるのなら、それはそれでいいのかもしれない。国の分割ではないけれど、それに近いことをやったのがイングランドなんだろうね。それがどう転ぶかはまだ誰にも分からないけど。できますか? ってゆーか、やりたいですか日本?

ああ、もう時間だ。
実は、今日は「スマホ入力だから」ということでいつもより5分長く20分で書いたんだけど、思ったような厚みになりませんでした。

もう明日から東川町か〜はやっ。

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