難しすぎるLGBTQアライとエンタメ
最近、続け様に数回この件について考える機会があり、みんなの意見も聞いてみたい気がしているので書いておく。
LGBTQアライ界隈では、エンターテイメント界隈の話をテーマに設定して会話したりディスカッションしたりすることが多いような気がする。
LGBTQをテーマにした作品についての意見や情報の交換。カミングアウトしているタレントさんについてここが好きあれはちょっと。所属組織やその周辺の対応がどうしたこうした。
マスメディアを通じて触れる機会の多いエンタメ関連の話は、多くの人がそれなりに知識を持っていて、共通の話題にしやすいという特性もあって、そうしたくなる気持ちはわかる。
でも、軽い「毛繕い的」コミュニケーションが目的ならそれでいいと思うんだけど、ディープな話の入り口にはふさわしくない気がする。いや、「ふさわしいふさわしくない」ではなくて、難しい入り口なのではないだろうか。
LGBTQへの社会のスタンスがいつまで経っても変わらない事実をどう捉えるかとか、それにどうアプローチするかとか、しんどい思いをしている人たちをどう応援していくか。そんな話をする入り口には。
…なんか、回りくどい書き方になっちゃったな。シンプルにいこう。
タレントさんや映画やドラマや小説が好きか嫌いかって、理屈じゃないよね。
直感的で恣意的で、非論理的に好きになるし気に入らない。
「なんか気になる」って見ているうちに好きになっている自分に気づいたり。どこがそう思わせるのかわからないままに気に入らなかったり。
「どうして好きなの?」って問われればいろいろと考えてそれっぽいことを答えるけれど、実際には単なる後付けの理由だったり、自分でもちゃんと説明できていないことを自覚していたり。どうにかこうにか言葉にしてるだけ。「だって好きなんだもん」「だって嫌いなんだもん」以上でも以下でもないってこと多いでしょう?
そしてそれが許されるのが、タレントさんであり、映画でありドラマなんだと思う。なんの責任も感じることなく自分の感性だけで「好き嫌い」を判断して、それを表現できる対象。それがエンタメ。
「上司がなぜか気に入らない。」「隣の席のxxxが妙に癇に障る。」「xxの旦那はなんだか感じ悪い。」——「どうして?」と聞かれても理由がちゃんと答えられない、こうした自分の感覚にしかよらない判断を広く周囲に発信できないでしょ。
そんなふうにぼんやりとした、自分でも言語化できないエンタメをから入って、「なぜアンチLGBTQが力を得ているのか」「それにどうやってカウンターを当てていくのか」をロジカルに考えていくの、難しくないですか?
だって、「え? だってあいつなんかキモいじゃん」みたいな言葉を想像力を用いることなくぶつけてくるような人たちに、どうしたらちゃんと理解してもらえるのかって話をするんだよ? お互いを尊重し合う社会をどうしたら作れるかを一緒に考えようって話をさ。
…一番、ロジカルじゃないところの自分を起点に。
あえてのチャレンジならそれはそれでいいんだろうけど。…いや、本当にいいのかな?
難しすぎるでしょ。