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喪失の準備。

コロナも私の日常3-76
76日目 6月9日(水)

なんだかいつもよりスッキリとした朝。空も青が澄み通ってて、気持ちがいい。今日も暑くなりそうです。そんな日に私は仕事で農業体験へゴーイング。

昨晩、父から連絡が来た。福岡のじいちゃんが倒れたらしい。心筋梗塞で一時心肺停止にもなったらしいけど、AEDで一命を取り留めて、今はICUだそう。結構やばい。AEDってすごい。頑固ジジイなじいちゃんにそれほど思い入れがあるわけではないけれど、まがいなりにも自分のおじいちゃんな訳で、今までそれなりにお世話になってきたわけで、私はフゥと少し息を吐く。5/30にワクチンを打ったばかりだったから、それが原因の一つにあるかもしれないなと思ったりする。でも、日頃の不摂生のせいも絶対ある。糖尿病だったしね。そのくせにお菓子とかたくさん食べてたし。父が去年倒れたばかりなのにじいちゃんまで倒れてしまうとは思ってなくて、うーんと唸る。

じいちゃんはなかなか頑固者で、私に似ている。いや、私が似ているんだな。悔しいけど、嫌だけど。でも私のおかげで少し変わったところもあるらしい。靴磨きをおばあちゃんにやらせていたところに幼き私が「お父さんは自分で磨いてたよ」と言って、じいちゃんも自分で磨くようになったらしい。素直で草。そういう可愛いところもある。方言なのか語尾に「〇〇だにゃ〜」と言うのも面白い。小学生の時、これで一作文書いた。
「おじいちゃんは時々、猫みたいに鳴きます」みたいな作文だった気がする。我ながらなかなか文才が溢れてておもろい。お腹もポンポコリンだったので、朝青龍と馬鹿にしていたこともある。いじめてないよ。そんなことを思い出して、やっぱりもう少し生きていて欲しいなあと思う。

死は恐れることではない、というのは以前書いた話だし、まあその通りだし恐れてはいない。でもやはり、身近な誰かを失うということはそれなりの覚悟がいるし、準備が必要な気がする。喪失の準備。これから失うかもしれませんよ〜という前持っての心の準備。隕石のように急にやってきて大打撃を受けるよりは、緩やかな坂道を下ってくれた方が、衝撃は少なくて済む。そういう意味では、確かに病院という機能は、その準備には最適かもしれない。準備によって生まれた心の余裕で、他のことを考えられるだろうか。人生というのは残酷だな。死ぬとすぐ葬儀の準備をして骨は灰になり仏壇となり写真の中の人となりやがて忘れられてゆく。でも、それくらい潔くないと、流れが止まるような気がするから、きっとだめなんだろうな。

まあ私がいくら願ったところで、どうにもならないこともある。今はただ、現状を見守るだけだ。でも一応、心の準備だけはしておきたいと思う。その時が来たら、必要以上に心に穴が開かないように。でもちゃんと、希望ももっていくし、号泣する準備もできている。江國香織。私はわりとその場では涙が出ないタイプなので、号泣するかどうかはわからないけれど。

朝からこんなことをタラタラと考えてしまったけれど、まあこんな日もあるよね。人生いろいろ。ひとまず今できることを、一生懸命やろう。まだ起きてないことを心配することこそ、野暮というに違いない。

ああ。今日は、空が綺麗だ。

おはよう。

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