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求めよさらば与えられん

コロナも私の日常3-86
86日目 6月22日(火)

寝起きの悪い朝。さいきん、毎朝寝起きが悪い。結構寝ているはずだけど、寝ても寝ても眠いしだるいという謎の倦怠感に襲われている毎日。そんな梅雨のはじまり。

高校生の頃、キリスト教系の高校に通っていた私は、ヨセフとかいう名前の先生の元で聖書の授業を受けていた。正直、ヨセフという印象的な名前くらいしか記憶に残っていないくらいの先生である。そんなある日、ヨセフがいつも通り授業をしに教室へ入ってきて、ないないといきなり探し物をし始めた。そうしたら机の中から探し物が出てきて、「『求めよさらば与えられん』という言葉が聖書にはあるんですが、まさにこういうことなんですね〜」なんて誇らしげに語っていたのを、なぜか今でもよく覚えている。

最近、この言葉をよく思い出す。なぜかというと、自分で「求めよさらば与えられん」をありありと実感しているからだ。しかも求めるって言っても「こうなったらいいな〜」くらいにしか思ってないことが多いし、与えられるまでが早いのよ。
例えば、自転車欲しいな〜と思っていたらサプライズで知人からプレゼントされたり、鎌倉に行ってこんなところに住めたらいいな〜と思っていたら鎌倉で働くことにいつの間にかなってしまっていたり、これやりたくないな〜と思っていた仕事が中止になってやらずに済んだり、彼女とこの人会うのあんまり嬉しくないな〜と思っていたら諸事情で延期になったり、お金ほしいな〜と思っていたら小銭を稼げるコトに出会ったりなどなど。なんか思い返してみたらこういうことで溢れ返っている。流石に多くないか?と思ったけどみんなこんなもんかとも思えるし複雑な気持ち。

でも、自分の思っていることや願っていることって本当に叶うんだなあ、としみじみ思っている。「求めよさらば与えられん」なんてあのヨセフの綺麗事だと思っていたけれど、あの時彼は本当のことを言っていたのかあと今更実感して、ヨセフのあのつまらない聖書の授業にも意味はあったんだなとこの世の理を知る。そんな22歳と3ヶ月。今思えばあの時も私は運に恵まれていたし、求めたら与えられるのは、私の運が良いおかげでもあるかもしれない。

変なことを願って変なことが与えられてしまわないように、お願い事も気をつけて行かなくちゃなと思ったりもする。でもいちいちそんな願い事に注意を向けてはいられないし、まあ別に変なことが与えられてしまっても結局はなんとかなる気もするので、明日もテキトーに私らしくのんびり生きてこ。

ああ。今日は、空がかわいかった。

おやすみ。

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