コロナも私の日常3-71
71日目 4月22日(木)
火曜日に書いた日記が出てきたので、今日はそれをメインにしていこうと思う。
4月20日(火)
いつの間にか桜は散り、花粉症の症状がほとんど出なくなり、半袖で歩いても平気な季節になっていた。
社会人になってから、早2週間。私は果たして、仕事というものを分かってきただろうか。今日は鎌倉の御成通り周辺を生徒とゴミ拾い。なかなか気持ちの良い朝に乾杯。でもまだなんだかバイトをしているような、そんな感覚で、これで良いのかと焦る自分がいる。そんな日々。
就業中にふと見た会社のTwitterでたまたま見つけた「新卒 もうやめたい」のアカウント。うつだろうかと思えるまでのネガティヴなツイートが続き、ついつい見入ってしまったよね。なんかもう、すごい。人って所属する所や環境によってこんな気の持ちようが変わってしまうんだね。すでに新卒で入った会社を辞めた人のアカウントなんかも出てきて、世の中には色々な人がいると知った昼下がり。かくいう私もこんなものを見ている時点で、心の底ではすでに辞めたいと思っているのかもしれないなんてことを思う。わからんけど。
重度の発達障害の子たちと関わっていると、私にできることはこれっぽっちもないのではないかと思うことがよくある。定型発達で何不自由なく生活を送れている私と彼らとでは生活の基礎がまるっきり違う。どちらが正しいとか間違っているとかではなくて、ただ違うだけではあるけれど、その違いは、あまりにも大きすぎて、埋めなければいけないものが多すぎる。当たり前に言葉を話して、思考して、理解して、行動している私には、それが当たり前にできない彼らの気持ちや想いを本当に理解することは出来ない。本当の異文化理解ってこういうことかもしれないと今更ながら実感しているところであります。
普通ってなんだろうと最近はよく考えるようになった。私たちが普段普通だと思っていることは、本当は普通ではないかもしれない。この世界も、みんなで見ている幻想かもしれない。コロナだって、本当はないのかもしれない。人は大抵一つの方向から物事を判断してしまうから、歴史はねじ曲げられるし、喧嘩はするし、人を嫌い妬むし、愚かだよなあと人間の身で思ってみたりする。そんな人間22年目の女性です。
わたしはわりとよく、全然関係のない物事を繋ぎ合わせては、なるほど、これもあれと関係があったのかと思うタチである。だから、全く無関係に思えるものにも共通点を見つけたりする。そういう時に私は、ああこの世界は本当は全部同じで、ひとつなんだなあと感じるのです。本当は、あなたも私も、あの牛もこのコップも私の大好きなベッドもあの雑草も海の中の魚たちも空の上の雲も、この地球も。本当は、全部ひとつのものから出来ているんだろうなあと思ったりするのです。そう考えると、自分以外の人に優しくするのは極自然のことだと思える。だってそれは、自分に優しくすることと同じだからね。
あの徳川綱吉も、生類憐みの令なんてものを出して大ブーイングを今でも食らっているけれど、本当はそういう真理に気が付いていたんじゃないかなあなんて思う。誰がいいとか悪いとか、誰が上で誰が下とか、そんなものは本来一切必要なくて、この世に存在している全てのものが愛するに相応しいものであるということを、私はこれからも噛み締めて生きていきたい。どうせ死ぬのなら、そういう人間としてこの世を全うしていきたい。そういう思いが、何故だか最近は沸々と心の中で湧き上がってくる。でもこれがきっと、私の魂が心から望んでいることなのかなと思っている。
私はこれからも、自分の心の声に素直になって、自由に羽ばたいてゆきたい。
そういえば、翼をくださいって、いい曲だよね。
ああ。朝晩の気温差が激しすぎて服装に困る。
おやすみ。