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映画 「シビル・ウォー」 この不安定な感覚が現実なのか
内容に触れてます、ご了承下さい
相当ぐだぐだの雑文です
本作の内容や解説は、良識ある方のレビューをお読み下さい
荒唐無稽な設定であれば、意味不明の正義を振りかざしたドンパチ映画になると不安感満載だったが、
なるほど、そこに至る理由とプロセスは必要無いのか、
今の対立と分断によるアメリカの行く末を示唆しているから
そうだとしても、映し出される戦闘は自己肯定のための殺戮の描写に思える
大義や正義を理解できないまま引き金を引くシーンを見せ続けられ、不快感と恐怖が続く
戦争映画が持つ不条理とか狂気とかではない
登場人物も政治やジャーナリズム論などの議論すること無く、
そこに行くことを使命としている
そこに何があり、そこで得た物を、誰にどう伝えるのか、
そんなことはこの作品は必要としていないのか、
中盤、挿入歌の使い方もあり、アメリカンニューシネマ的なロードムービーを彷彿させたが、
反体制や苛立ちを描いている訳でも無い、
そして不安定な感覚のまま終盤に突入していく
しかしそんな内容に見入ってしまう
結末はどうあれ、これが想定されつつある現実になるのだろうかと思わせてしまうのは、ここ数年、映画を超える現実社会の異常な変化を目の当たりにしてきたからなのかもしれない、
この作品を肯定することもなく、否定することもなく
この設定はただのエンターテインメント作品として捉えてはいけない、
と不思議な感覚を残した作品でした
今の若いヒトは、どんな感想を持つのか聞いてみたい気になった
ひとつだけ個人的感想ですが、劇中で撮影されたモノクロフイルムの挿入は、効果として抜群だが、この作品ではいかがなものかと思ってしまった
青臭いジャーナリズム論になるが、それを活用するのであれば、報道写真の持つメッセージの重さをもっと明確に打ち出してほしかった、と
巻き上げ式フィルムカメラのライカを使うのだから、なおさら
そんなことを思いながら、テレビやネットの中の戦火はモニターの向こうの出来事ではない、と改めて認識する
リー・ミラー(主人公のモデルらしいです)
戦争カメラマンとなると
若い頃読んで震えました
「明確な敵と正義の戦い」を描いてきたアメリカ映画が、時代の流れと共に戦うべき敵が明確でなくなり、
敵がテロリストになり、そして異星人にまでたどり着いてしまった、
決して平和では無かったが、まだ暗澹としていなかった時代だったのかもしれない