ぽん子と数学の12年間戦争
小学校に入学した時から、高校卒業までの12年間。
数学は、私にとってそびえ立つ高い壁であり、君さえいなけりゃという憎き存在だった。
圧倒的文系の私には、多分数学のセンス諸々が無かったんだと思う。
文系科目でそこそこの点数をとっても、数学の点数が低すぎて、いつも足を引っ張られる。
高得点じゃなくても、せめて平均点くらい取れていれば、もうちょっと選択肢が広まったのに。
何がサインコサインだよ。何が点Pだよ。
あんなの大人になっても絶対使わないじゃん。
赤点仲間と、面倒だねと文句をいいながら、夏休みの数日間は毎年補講を受けた。
私の通っていた高校は、島の中では進学校と言われる類の学校で、田舎の進学校にありがちな、GOGO国公立!!という校風だった。
もし今、高校生に戻ることが出来たなら、きっと私は早々と私立文系の大学に的を絞って、対策を練るだろう。
しかし、当時の私はちょっと優しすぎた。
私の下には、妹が二人いる。
実家は貧しいわけではなかったけど、学費が安い国公立の方が、きっと両親も助かるはずだ。
特にやりたい事はないけど、頑張ればどこかにギリギリ滑り込めるかもしれない。
健気で孝行娘の私は、国公立大学進学を目指して勉強をした。
国公立を受験するという事は、センター試験を受けるということだ。
そして、センター試験の科目には、憎いあんちくしょうの数学がいるのだった。
数学の授業は、レベル別にクラス分けされていて、私はもちろん基礎クラスだった。
教えてくれる先生は、何名かいたんだけど、その中にS先生がいた。
S先生は、定年間近くらいのおじいちゃん先生で、眼鏡の奥のぎょろりとした目が印象的だった。
話し方もゆっくりで、板書の文字も丁寧。
夏休みの補習でも、お世話になった。
先生の授業や補講を受け、朝学習用のプリントもやり、だけど私の数学の成績は一向に良くならなかった。
多分、公式が覚えられないのと、覚えた公式の使い所がわからなかったんじゃないかと思う。
とりあえず、埋めてみようと問題と格闘するものの、だした解はいつも明後日の方向。
数学はわからないし、嫌いだったけど、必ず正しい答えが決まっているという点だけは、気にいっていた。
苦手なりに、正しい答えに辿り着く事が出来た時は嬉しかった。
模試を受け、受験用の問題集に手を出し、ついに数学と仲良くなれないままセンター試験本番を迎えた。
意地でマークシートを埋めたけど、結果は散々。
半分にも満たないひどい点数だった。
私も、担任の先生も、両親も、「数学さえもうちょっと点がとれたらなあ」とため息をついた。
センター試験が終わったという事は、高校生活にも終わりが近づいていた。
12年間苦しめられた数学とも、さよならだ。
冬の終わりか、春の初め。
多分あれは、最後の数学の授業の時だったんじゃないかと思う。
最後の数学の担当は、S先生だった。
授業の内容は、申し訳ないけど、もう忘れてしまった。
授業が終わり、挨拶をして、去り際。
入り口横の一番前の席に座っていた私の顔を見て、S先生は一言、「ぽん子、よく頑張ったなあ」と言った。
それに対して、何と返したかは覚えていない。
先生が、なんで私に声をかけてくれたのか、今となってはわからない。
とりあえず国公立を目指してはいたけど、テストも模試も最後まで散々な点数だったし、わからない箇所を質問しにいった記憶もほとんどない。
S先生と親しかったかと言われても、授業と補習でお世話になったくらいで、それは他のクラスメイトと同じだと思う。
結局成績も上がらず、劣等生のままで申し訳ないなという気持ちもあったけど、私は嬉しかった。
苦手な数学の事で褒めてくれたのは、後にも先にもS先生だけだった。
大人になってから思ったことだけど、もし最後の授業で先生が私に声をかけてくれなかったら、どうだっただろう。
私は、テレビや街で数学に関係する何かを見るたび、苦い気持ちで目を逸らしていたかもしれない。
先生が私に声をかけたのは偶然かもしれない。
だけど、先生のおかげで、私は最後の最後で数学を大嫌いにならなくてすんだんだと思う。
数学と聞いて真っ先に浮かぶのは、散々なテストの点数でも、夏休みの補講でもなくて、最後の授業のS先生の一言だ。
大げさな言い方かもしれないけど、先生のあの一言は、ギリギリのところで私の数学嫌いの呪いを解いてくれたと思っている。
ぽん子と数学の12年間戦争を締めくくるには、最高のハッピーエンドだ。
会社帰りの本屋で、「それ数学で証明できます」という本を見つける。
面白そうだな、と本に手を伸ばす時、S先生が眼鏡越しに私を見て、少し笑ってくれたような気がした。
今日の一曲
ぼくの好きな先生/RCサクセション
27日目
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