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頑固オヤジと赤ペン先生がケンカしている

ZINEの校正をしたり、書き下ろしの分を進めたりしている。修正しながらずっと考えていることがある。どこまで整えて、どこまでわたしの書き癖のようなものを残すのか。

読みやすさを追求するのであれば、できるだけ整えた方がいいと思う。わたしの文章は、話し言葉混じりの部分があるし、へんな擬音が入ったりする。そういうの、カットした方がすっきりして読みやすくなるのかもしれない。
だけど、余計であろう部分をカットして、綺麗に漂白して、それって本当にわたしの文章なのかな、と生意気なことを考えたりする。

それとも、きちんと整頓して、読みやすい整えた文章にして、それでもなお残ったものが、「わたしらしさ」ってやつなんだろうか。わからない。

校正作業は、夫と二人で行っている。わたしの書いた記事に、夫がバシバシ赤ペンを入れていく。

「ここは、こっちの方がイメージがわきやすいんじゃないかな」夫が赤ペンを入れたところは、まあ日本語的にはちょっとヘンかも。でも、わたしはそれでいいと思って書いた箇所だった。
うまい例えが出てこないけど、「風がびゅーびゃー吹いている」を、「風がボウボウ吹いている」って書いた、みたいなかんじ。

確かに、夫の言うように修正した方が、意味として通るし、読む人のイメージもわきやすいかなという気もする。

でも、直された文章を読んで、なんだかわたしは自分の書いたものじゃない感じがした。ちょっとお堅いというか、妙によそゆきの雰囲気がでてる。なんか違う。なんかいやだ。

「いや、これは直さない。これでいい」わたしは、元のちょっとヘンテコな文章をいかすことにした。

多分、他の人からしたら、どっちでもいいんじゃないのって話だと思う。読む人のこと考えるなら、夫の言うようにわかりやすく修正した方が良かったのかもしれない。

そういう変なこだわりは、なんの意味もないっていうか、邪魔なものかもしれないけど、でも、そういうこだわりや頑固さを捨ててしまうなら、わたしが書く意味あるの?とも思う。

わたしの頑固は、祖父の代から三代続く筋金入りだ。いまさら治らない。

難しいなあ。伝わらないと意味はないのかもしれないけど、整いすぎても味気ない気がする。
読みやすい文章と、「その人っぽさ」を両立している人もいるけど、すごいよなあ。

明確な線引きがどこなのかは、わからないんだけど、確かにわたしのなかで「これは修正したくない、この書き方がいい!!」っていう部分があったんですよね。

そして、このよちよちエッセイ作りなんですが、なるべくリアルタイムで書こうと思ってたんです。だけど、マジで切羽詰まりすぎて、しばらく書けなかったんですよね。
そうこうしているうちに、本が、無事に完成してしまったんですよ。

製作日記の続きは、コピー本にしてエッセイ買ってくれた人に押し付ける予定なのですが、noteで読んでくれていた人もいるのに、そんな、続きはWEBで!みたいなことするのもなあ、という気持ちもあり。

でも、完成したから「みてー!!」とお披露目したい気持ちもあり。

なんの参考にもならない、綱渡り製作日記ですが、もうしばらく続きます。それでは、今日はこのへんで。










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