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永遠なのか、本当か、好きな気持ちは続くのか
朝、Podcastを流しながら家事をしていた。
元々、夫が聴いていた番組で、おすすめされて聴いてみたら夫婦でハマってしまったのだ。
後から起きてきた夫が、番組を聴きながら「俺、最近のヤツ全然聴けてないんだよな」と、ぽつりとこぼした。
「飽きちゃったのかなあ」と言う夫は、なんとなく、しょぼんとしてみえた。
「好きな気持ちが、落ち着いちゃっただけじゃないかな」と返したけど、わたしは、夫の気持ちがわかる気がする。
大好きでハマっていたものに対する気持ちが、スンと落ちついてしまうことが、よくある。
その対象のことが、嫌いになったわけじゃない。
ただ、好きの熱量が、スッと冷めてしまった感じがするのだ。
なんでだろう。
あんなに好きだったのに。生活のすべてと言ってもいいくらい、心を傾けていたのに。
冒頭のPodcastだって、わたしたちは、本当に大好きだった。
番組が書籍化したときは、予約して購入したし、新婚旅行の帰りにイベントにも参加した。
夫のメールが番組で読まれたときは、ふたりして「よかったね!」「嬉しいね」と大喜びしたのだ。
何度も遠征した、大好きなバンド。出演する番組を必ず録画していたタレントさん。通勤しながらいつもリピートしていたお気に入りの音楽。
全部全部、嘘偽りなく大好きだったのに、どうしてその気持ちが長続きしないんだろう。
熱が冷めてしまったと自覚したとき、いつも、後ろめたいような、申し訳ないような、チリっとした気持ちになる。
だけど、もうどうにもならないのだ。
ゆるく応援は続けるけれど、あの燃え上がるような、彼らや彼女らが、生活の中心にいた頃のような熱量は、わいてこない。
もちろん、相手側は、わたしのこんな気持ちなんて知ることはない。だから、こちらが勝手に好きになって、勝手に申し訳ない気持ちになっているだけだ。
なんだろう。わたしは、好きだった推したちと、それを熱烈に応援していた過去のわたしを、両方裏切ってしまったような気分になる。
大げさすぎる話だとは思うけど。
わたしは、本当に大好きだったのに。彼らとわたしの間には、確かに暖かくて綺麗な時間が流れていたのに。
ライブで涙を流したことも、テレビのトークをみて笑ったことも、知らない土地に足を運んだことも、そういう素敵な思い出が、色褪せて、ぽいって捨てられてしまったような、自分で汚してしまったような、そんな気がしてしまう。
新しく、何か好きなものができても、この気持ちもいつか終わりが来るんだろうな、と、頭の片隅でそんなことを考える。
ミーハーみたいで、大好きなものを消費してしまっているみたいで、熱が冷めた後は、なんだかいつも悲しくて寂しい。ほんとは、そんなに好きじゃなかったのかな、と、自分の好きを疑ってしまうのがイヤだ。
一途に応援できる人が、羨ましい。
わたしも、変わらない熱量で好きでいられたらいいのに。
人の気持ちは、それが自分のものだとしても、強制したり変えたりできないものだから、仕方のないことだとわかっている。
きっと、わたしの好きに永遠はない。
それでも、わたしは永遠がほしい。
いつまで経っても変わらない、そんな「好き」の気持ちがほしい。