LUMIX G100とゆく|故郷を撮る。残したい今。
子どもの頃に過ごした街を歩く。
手にはLUMIX G100。
懐かしさがこみあげ、シャッターを切った。
Panasonic様よりお借りしているミラーレス一眼カメラ、LUMIX G100。片手に収まるほど小型で、操作性も良く、気軽に持ち出せるのが特徴だ。
昨秋からお借りしているこのカメラとともに、わたしはこれまで様々な撮影に出かけた。撮れば撮るほど、手にフィットする。
LUMIX G100とゆく。
今回のテーマは、故郷のスナップである。
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静岡県沼津市、わたしが生まれ育った街だ。
静岡県東部に位置する沼津。東海道の宿場町として栄え、この地域の中心的役割を担ってきた港町である。気候は温暖で、雪が降ることは滅多にない。
日本一深いといわれる駿河湾からは、多くの深海魚が水揚げされ、深海魚水族館では他施設では見られない生き物が見られる。もちろん、海の幸は格別だ。
観光地としても魅力的な沼津。
しかし今回は、わたしの“故郷”として、この街の写真を撮った。
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懐かしい公園に足を踏み入れる。子どもたちが元気に遊び、それを保護者が見守っていた。その風景は今も昔も変わらない。わたしもここで遊んだひとりである。
日曜の昼下がり。3月の風は、まだ少し冷たい。桜は蕾を膨らませている途中だった。思い出の場所を写真におさめる。LUMIX G100のコンパクトさは、息をするようにシャッターが切れるほど、快適だ。
公園内を歩く。石でできたカメやサイは、20年以上も前からある。彼らは今も健在で、新しくペンキが塗られていた。一方で、知らない遊具も新設されていた。
見慣れたものと新しいものが混在している。不思議な感覚だ。
ふと、ここにあったシーソーで遊んだことを思い出した。
相手は誰だったのか、母か父かそれとも友人か。わたしは、何歳だったのか。思い出せない。霞がかかった中に浮かんだシーソーの記憶。
しかし、そのシーソーは、どこにも見当たらなかった。
代わりに真新しいシーソーで、子どもが遊んでいた。
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続いて訪れたのは、イシバシプラザ跡地。
イシバシプラザは、1978年に開業した大型ショッピングモールである。しかし昨年8月、施設の老朽化などを理由に、43年の歴史に幕を下ろした。
イシバシプラザは、市民の生活にかかせない場所であった。もちろん、わたしもそのひとりだった。
幼少期、なんでも揃っているここが、まるで宝箱のように感じられた。家族との買い物が楽しみだった。
学生になると、友人とプリクラを撮ったり、洋服や雑貨を見たりした。友人とショッピングだなんて、少し大人になったような気がしていた。
そんな青春が詰まっていた、イシバシプラザ。
その現在。解体作業が行われていた。
解体しているのは、知っていた。実際に見るのは、初めてだった。
切ないかな、思い出の場所がコンクリート剥き出しになっている。立体駐車場は、ホールケーキが半分にされたように、真っ二つだ。
フェンスがあるので遠目から写真を撮る。
更地になってしまう前に、この今を残さなきゃ。そう、シャッターを切る。
きっと、更地になったら、その時もまた写真を撮ってしまうのだろうな、と思いながら。
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この街を出るまで、この街がすべてだった。
空は高く見えたし、街は広かった。道端に咲く花を摘めば花束になった。雨が降れば水たまりを蹴って遊んだ。学校帰りの交差点、友人との話が止まらなくて、信号は何度も赤と緑を繰り返した。
あの頃のわたしをなぞるように、ゆっくりと歩く。
どれもどれも、大切な思い出だ。
シャッターボタンを押すたびに、LUMIX G100の可愛らしい音が響く。心には、静寂が訪れる。
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歩みを狩野川に進めていく。
狩野川は、静岡県内を流れる大河川のひとつである。伊豆半島の天城山を源流としており、沼津市を流れる狩野川は、その河口付近にあたる。
夏になると、灯ろう流しが行われ、夏祭りには花火が上がる。むせ返るような熱気の中、多くの出店を見て回るあのワクワク感を思い出した。
高校時代、悩みが大きくなると、河川敷に座り、何時間も物思いにふけっていた。
大人になると、親友と夜風を浴びながら、この河辺で本音を語り合った。
この日の狩野川は、特別なことはなく、ただ穏やかに時間が流れていた。わたしはあの日のように、そっと腰掛け、シャッターを切った。
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久しぶりに撮り歩いた故郷は、知らない建物が増え、知っている建物が消えていた。当たり前だ。この街を離れてから10年の時が経ったのだから。しかし、それはわたしだけ取り残されているようで、少し寂しさを覚えた。
いくら懐古しても、過去は撮れない。
撮れるものは、今というこの瞬間だけだ。
そうわかっていても、故郷を、この街を撮りたかった。なぜならわたしは、カメラを持ち、今を生きているから。今を残したいと思うから。
今日撮った写真の価値は、きっと未来に生まれるのだろう。
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カメラを持ったとき、撮るものに悩んだあなたへ。
あなたの思い出の場所を、思い浮かべてみてほしい。
そんな時はぜひ、あなたの思い出の場所に足を運んで、写真を撮ってみると良いだろう。それは故郷でもいいし、学生時代を過ごした街でもいい。もちろん、今住んでいる街のどこかでもいい。
変わってしまったもの、変わらずにあるもの。
その間で揺れ動く今を感じて、シャッターを切ってみよう。
様々なひとや思いをのせた街でも、永遠に続く保証はない。自然災害や戦争で失われた景色を、わたしたちは多く目の当たりにしてきた。
写真として残せるのは、今の景色しかないのならば、ぜひその今を撮ってほしい。何の変哲もない日常を写した写真は、財産である。
LUMIX G100は、写真とは自由でいいと、わたしに教えてくれた。コンパクトなボディに単焦点をつければ、コンデジのようにスナップができる。また、マイクロフォーサーズならではの軽量レンズやその種類の豊富さは、撮影の幅を広げてくれた。この小さな身体を侮ってはいけない。このカメラ、いいぞ。
ありがとう、LUMIX G100。
それでは、良い写真生活を。
※本noteの作例は、全て以下の機材を使用して、撮影しました。
■Camera:LUMIX G 100
■Lens:LEICA DG SUMMILUX 15mm/F1.7 ASPH.
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