2021年11月 - 今月のスナップとエッセイ
つい最近、今月のスナップとエッセイを書いた気がする。それが1ヶ月前であることは明白だが、どうにもこうにも受け入れがたい。
多忙なわたしの11月は、木枯らしのように吹き去っていった。
さて、比較的温暖な静岡にも、冬の訪れを感じる日々が続いている。
太平洋沿いの街。冬の澄み渡る空は、どこまでも青く透明だ。一方で、風はびゅうびゅうと音を立てて、街中を駆け巡っている。
寒さに弱いわたしが、縮こまる季節がやってきた。
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今月初旬、夫と東京へ行った。
企画公募写真展「1pic」に出展し、両国にあるピクトリコ&ショップギャラリーに展示していただいたのだ。
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約2年ぶりの東京。こんなに間が空いたのは、初めてだ。
大学卒業とともに東京を離れたが、その後も高頻度で訪れていた。しかしこの2年間、この状況下で、東京は遠い土地になってしまった。
久しぶりの都会で、夫と一泊。
ホテルの屋上ラウンジへ足を運んだ。ひんやりとした夜風を浴び、2人掛けのソファーに腰を下ろした。そこに、気を利かせたウエイターがブランケットを持ってきてくださった。
わたしはモスコミュール、夫はソルティドッグ。
テーブルライトが優しく線を伸ばし、グラスを照らす。わたしたちはスカイツリーを眺めながら、静かにグラスに口をつけた。
時計の針がゆっくりと進む。忙しい生活を忘れてしまうような、そんな感覚だ。
ふたりでブランケットに包まり、他愛のない話をたくさんした。今日の出来事から東京の思い出まで、たくさんたくさん。
まだ付き合う前、酒を飲みながら、よく話し込んでいた。店の外に出れば、空が白んでいることもあった。お互いをまだ知らなくて、手探りな会話がとにかく甘酸っぱかった。
急にあの頃が懐かしくなる、そんな夜を過ごした。
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企画展「1pic」のテーマは、水辺。オンラインでデータを提出後、プリント・額装・設営までプロにおまかせという写真展初心者のわたしにぴったりな企画に参加した。
プリントはそれぞれの作品にあわせた用紙がセレクトされる。わたしの作品はソフトグロスペーパーでプリントしていただいた。
淡い写真が、優しく上品な光沢感をもった仕上がりになっており、感動した。
また、展示された皆様の作品は、大変興味深いものであった。自分の視点では撮れないなと思うものも多く、勉強になる。やはり、写真展は面白い。そして、作品それぞれに合うプリントがなされていて、改めて奥深い世界だと感じた。
プリント、いいなあ。
まだまだ勉強することは、たくさんありそうだ。
ギャラリーを後にし、わたしたちは隅田川沿いを散歩した。
もちろん、カメラ片手にね。
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向かった先は、すみだ水族館。スカイツリーにある水族館だ。
小笠原諸島の海をテーマにした大水槽、ペンギンの大型屋内プール、クラゲの美しい展示などが有名である。
わたしたち夫婦は、動物園や水族館に行きがちだ。遠方へ旅行しても、その土地の動物園や水族館によく足を運ぶ。施設ごとに見せ方が違っていたり、その地域ならではの展示があったりして、飽きることがない。
すみだ水族館では、生き物のごはんの準備をする様子が見られる「キッチン」がある。そこには、誰にどの魚をどれくらいあげるか細かく書かれていた。生き物の様子を見て、量を調整しているそうだ。
ヒトはヒト以外と言葉を交わすことが出来ない。しかし、その聞こえぬ言葉を聞き取っている飼育員さんは、やはりプロであると感じた。
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翌日は仕事のため、早めに静岡へ戻った。
幼い頃、初めて行った東京。キラキラしていて、何でも出来そうな街に見えた。
大学生の頃、親元を離れて暮らした東京。満員電車も強いビル風も日常となり、歩幅も都会に馴染んでいった。
そして今、再び東京を訪れると、この街を俯瞰的に捉えている自分がいた。今はもう違う土地で生きているのに、昔の自分がまだ東京いるような、解離感があった。
それはまるで、時という川に流された過去の自分を見ているようだ。
記憶が、時に流されていく。手元にあった記憶が、いつの間にか遠く遠くに流されている。幸せな記憶も辛い記憶も、時が静寂の海へと流していく。
同じ街でも、人生の現在地により、こうも感じ方が違うとは不思議である。
久しぶりの東京、とても満喫できた。
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さて、その後は、月末まで駆け抜けるように過ぎ去っていった。冒頭にも記したとおり、木枯らしの如くである。
気がつけば1日、そして1週間が終わっている。そこには、焦りもあった。
自分のこと、仕事のこと、周りの人々とのことを、ひとつひとつ着実にこなしていく。そこには、達成感もあった。
振り返ればこの1ヶ月は、焦りと達成感が入り混じった生活だった。これも自分が決めたことだと思えば、悪くないものである。ひたすら、追い風の中を走り続けた。
最も印象的な出来事は、大切な友人の大切な撮影を任されたことだろう。これは、多くの方々の協力があって成し遂げられた。
彼女は、写真を撮ってもらうなら絶対わたしだと言った。それが、何より嬉しかった。
撮影前、わたしは緊張していた。必ず成功させねばと。どう撮ろうかと心配するわたしに、夫は「いつも通りに撮ればいいんじゃない?」と声をかけてくれた。
一番わたしの撮影姿を見ている彼からの言葉は、大きな力になった。
結果、撮影は無事結ぶことが出来た。この話は温めて、いつか書き記そうと思う。
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今月は、忙しさを理由に静岡の街を撮り歩く機会を逃してばかりだった。
街は季節に敏感だ。ちょっぴり顔を出さずにいたら、辺りは一面クリスマスモードになっていた。電飾煌めく下を歩く人々は、首にマフラーを巻き、コートを羽織っている。未だに薄手の上着を着ているわたしは、ひとり取り残されたようだ。髪はボサボサだし、化粧気はないし、もう少し余裕がほしい。
余裕をもつこと、やりたいことをやること、そのバランスをとって生きていくのはなかなか難しい。きっと一生難しい。やれることが限られる人生で、何をしていこうか考える。
別にね、生き急いでいるわけではないの。
何も考えずして生きたくないだけで。
さて、いよいよ年末だ。来月もたくさん撮っていこう。
それでは、良い写真生活を。