ちいさくもかわいくもなりきれていない現生人類、あるいは「人間はどこまで家畜か——現代人の精神構造」(熊代 亨著)の読書録

『人間はどこまで家畜か——現代人の精神構造』が面白かったので、ご紹介します。

本書の中に、「2160年、平穏と調和の時代」としてこんなワンカットが描かれていました。

喫煙や飲酒、その他の不健康な食文化は、伝統芸能として有資格者が提供・摂取する場合をのぞいて違法とみなされている。

「人間はどこまで家畜か——現代人の精神構造」p.174

読んだ途端に、「あ、ちいかわだ」と思いました。くりまんじゅうさんが持っている「お酒の資格」です。

『人間はどこまで家畜か』は、タイトル通り人間について論述する本です。ただ、一度ちいかわらしさを見出してしまうと、記述のあちこちからちいかわの姿が浮かび上がってきます。

人間は自然にちいかわ化してきている、そして不自然なまでにちいかわな振る舞いを求められている。
人類が完全にちいかわ化するためには何が必要なのか、ちいかわとしての生は人間にとって幸せなのか、ちいかわの世界の中で、ちいかわになれない者は「討伐」されるしかないのか……。

私が勝手に読み取ったそんな問題意識に基づいて、気になったことを書き連ねていきます。

私なりの本書の概要

  • 長年にわたって人間と暮らしてきた動物は、人間と共存するのに都合がいい形質を受け継ぎ、強めていく。これを「自己家畜化」という

  • 自己家畜化した動物の主な特徴として、「おとなしく従順」「警戒心が薄い」「人懐っこい」が挙げられる。また、外見上では「体格・顎が小さくなる」「顔が平たくなる」「折れ耳や白いぶち・模様が出やすくなる」といった変化が現れる

  • ヒトにも同様に、自己家畜化的な遺伝子変化が起こっている。つまり人間は、より穏やかで秩序立った存在に変化しつつある。文化や技術の発展は、その傾向をいっそう押し進めている

  • ただし、現在では文化や技術の発展が早すぎて、ヒトの進化が追いついていない。「もっと洗練を、もっと秩序を、もっと自己家畜化を」と求める社会は、もはやヒトが適応しきれないものになり始めているのではないか

  • 近年では、生きづらさを感じている人に対して広く抗うつ剤などが処方されており、社会への適応に困難を抱え「発達障害」と診断される人も増えている。これらの人々を治療対象とみなすことは適切なのか。
    さらに今後の研究によっては、社会適合にマイナスとなり得る遺伝子を望ましい遺伝子へ置き換え、ヒトを人為的に「進化」させることも可能になるかもしれない。そのような遺伝子のコーディネートは認められるべきものなのか

人間とちいかわの隔たり

1. でかつよから生き延びるための本能

『人間はどこまで家畜か』を踏まえると、ちいかわたちはかなり(自己)家畜化された存在に見えます。
鎧さんの管理(たぶん)のもと秩序立った世界に暮らし、基本的には食べ物に困ることもなく、顔がぺしゃっとしてかわいくて穏やか。さらに自分より大きくて強そうな鎧さんにも人懐っこく朗らかに接します。そして特にハチワレに顕著ですが、警戒心がなくて楽天的なところも自己家畜化の特徴として当てはまります。
ちいかわたちは自己家畜化の観点からいうと人間よりはるかに進んでいるといえるかもしれません。

人間にとっても、穏やかで朗らかで人当たりが良いのは、現代を生きるうえで望ましい性質。ですが、私たちは「でかつよから生き延びるための能力」を、ご先祖から遺伝子レベルで受け継いでいます。体がでかいものは警戒するし、食べるために奪ったり狩ったりしないといけないし、イヤなことは嬉しいことよりもよく覚えています。
個人的な感覚では、私自身は現代社会で必要とされる以上に聴覚刺激を警戒しやすくて、大きな音に驚いたり周囲の音や会話に圧倒されてしまったりしがちなように感じています。

現生ちいかわたちがどんな進化を遂げてきたのかは定かではありませんが、人間に比べると男性ホルモンの分泌が著しく低いつくりになっていそうです。

2. 性差と生殖のメカニズム

不思議なことに、ヒトは身体の性別が分かれています。ちいかわたちにはおそらく性差がないのに。既存の2個体の遺伝子を2分の1ずつ受け継がせて、子孫をより多様にしようというのは理解できます。でもそれなら、異なる2個体の間で任意に生殖が可能な、全人類両性具有パターンでもよかったのに、と考えたりもしてしまいます。
なお、両性具有のデメリットを考えてみたところ、「自分の精子で妊娠する」という事態が起きかねず、実質単為生殖の割合が増えてしまうという答えが導かれました。タコの交接腕みたいな感じでなんとかならないでしょうか。

ともかく、人間社会では『人間はどこまで家畜か』で語られるような秩序化・効率化が進むと共に、あれこれ難しいことが発生しています。
人間の心身も「標準的」であることが求められ、かえって少数派の人たちには生きにくい世の中になってしまったり。
生産性だけで考えると、男性と比べて体力が低いことが多く、月経などで心身の調子に波が出やすい女性が不利になりがちだったり。そもそも社会構成がマチズモ的だったり。

かつて職場で「女性活躍のための講演」とやらを聞いたことがあります。スピーカーはマスメディア業界の女性役員。その中で、女性が企業でバリバリやっていくノウハウとして語られていたのが「低用量ピルの服用(月経が来ないようにする)」「全身脱毛」でした。
それを聞いた時から、私はなんだかモヤモヤした気持ち悪さを感じていたのですが、本書を読んでそれが「男性ブルジョワのようなキャリアを生きる女性の数を誇るばかりの (p.207)」社会に、自分や周りの女性を適応させようとしていたからだったのか、と納得しました。
子を産んで育てることよりもGDPが優先される、社会の歪みあるいは不健全性を垣間見た瞬間だったのかもしれません。

性差について考えたところで、連想ゲームで生殖・出産・育児の話題も扱ってみます。
筆者が指摘したように生まれてくる子の遺伝子をコーディネートすることが一般的になった場合、子どもを産み育てるのが今よりも大変になってしまいそう。
遺伝子の並びは「社会的に望ましい」ものになっているのだから、その子が問題を起こしたなら、それは親の責任だ、育て方が悪いんだ、と現在以上に親を責める風潮がエスカレートしていくことが予想されます。
あと、遺伝子コーディネートを利用できる高所得層と、生まれてきたところ勝負にならざるを得ない低所得層との格差が拡大していくことも容易に想像可能です。

このまま経済活動と秩序を優先する社会が加速し続けると、子どもを持ちたい人はさらに減り、さらに生まれてきた子どもも「現在の社会」に合わせて遺伝子をコーディネートされているので多様性が失われ……、ふとしたきっかけで人類絶滅、みたいなことになるかもしれませんね。あ、その前にはきっと、「外れ値」みたいな吹っ飛んだ人間が登場しにくくなるので、イノベーションやパラダイムシフトは生まれなくなっていることでしょう。

ヒトが生き残るためのヒントとして、性差のない(と思われる)ちいかわたちの殖え方と、地球上における無限湧きドコロの発見が待たれるところです。
ただ、たぶんちいかわの殖え方は人類に応用不可能ですし、関東平野にルマンドがニョキニョキ生えてくる、あるいはどこからともなく巨・えびせんがUFOのごとく漂ってくることはないでしょう。
ちいかわになりきれない私たちが、湧きドコロのないこの世界でなんとかやっていくには、自分自身の身体性を大切にし続けるための努力、すべてのヒトが別個の身体を持つ「動物」であることを忘れないための努力が求められていそうです。

雑多なコメント・感想など

ここからは余談なのですが、『人間はどこまで家畜か』の個別の文について思ったことを列挙していきます。カッコ内の数字は本の該当ページです。

  • 「その文明社会が人間にもっと多くのルールを守らせ、もっと攻撃性や不安を抑えさせ、いわば「より家畜人たれ」と求め続けると、その求めについていけずに不適応を起こす人が増えるのではないでしょうか。」(p.5)
    平沢進の『パレード』の世界ですね。すばらしいディストピア曲です。

  • 「文明社会がますます進み、あれもこれも障害特性とみなされ、 ”人間の標準規格” の基準が厳しくなった未来にはもっと多くの人が治療や支援を必要とするでしょう。」(p.6)
    → これも平沢進ですね。『百足らず様』で歌われていました!
    あとポール・ギャリコの『猫語の教科書』にも、「(人間が)病気でないときに病気だと思いこんでいる時間の長いことと言ったら!」(p.74)という記載があります。『猫語の教科書』は手練れの猫が後輩の猫たちに「人間の家を乗っ取る方法」をレクチャーする、猫なら必読の一冊です。

  • 「反面、彼ら(動物園の動物)は雄と雌が揃った状態で繁殖期を迎えてもなかなか子孫をつくれません。」(p.11)
    → 職場に、自称パンダ嫌いの上司がいました。聞いた言葉をできるだけ正確に思い出すと「あいつらは繁殖力も弱いし子供が産まれても1頭しか自力で育てられないし自分の子を潰すことまであるし、クマのくせに栄養のない竹食べてるし、可愛いから保護されてるだけで、実際は絶滅して然るべきだと思う。俺はよく上野にパンダ見に行ってるけど、あいつらずっとゴロゴロしてるだけだ」とのこと。とても詳しくていらっしゃる。これがツンデレというものでしょうか。

  • 「ベリャーエフのギンギツネは従順で人懐こい、なんだかかわいいキツネに変貌したのでした。」(p.31)
    → 写真を探したところ、ナショナルジオグラフィックの記事がありました。かわいいです。

  • 「『反穀物の人類史』のなかでスコットは、「人間は唯一の耐火種である」とも記しています。」(p.52)
    → もしかしたらヒグマにも耐火種の傾向があるかも。『ゴールデンカムイ』のなかでアシ(リ)パさんが「ヒグマは火を恐れない」って言ってました。

  • 「アナール学派の大著である『男らしさの歴史』は、かつて(中世〜近代)の男子の通過儀礼には、卑猥な冗談、春歌、痛飲、喧嘩、決闘などがあったと記します。(p.72)
    → 昭和って中世の価値観だったんですね。

  • 「法治に疑問を持たず、それを自明視する人が増えた結果、たとえば無人の交差点で赤信号を守る人も増えました。」
    → 手元にないので記憶頼みですが、別役実の『当世悪魔の辞典』によれば、これは「秩序」だそうです。

  • 「(西暦2060年の未来予想図として)若い世代においては生身の異性に関心を持つ人が少数派に転じ、そうした古風な男女は俗に「ナマモノ」と呼ばれている。」
    → 詳しい言及は避けますが、「二次元」がメインストリームで「三次元」をナマモノと呼ぶ文化、知ってますね……。

  • 「エンハンスメントはどこまでやって構わないか」(p.177〜183)
    → ここでいう「エンハンスメント」とは、健康な人(うつ病や不安症の診断を受けていない人)が、仕事・勉強の能率を上げたり、自分の能力を向上させたりする目的で向精神薬を服用することです。……疲労がポンと抜けるといわれたアレの再来では。

  • 最後に:オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』を読み返したくなりました。人間が幸せで、朗らかで、快楽を享受できる、管理社会の物語です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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