買う力
タイ・バンコクはTPOや財布の中身にあわせて様々な種類の飲食店やショップがあり、選ぶ側としては戸惑う事も多い。その反面、専門店は少なく、必要な機材や資材を買うのはタイ人でも難しいと聞く。
タイは選択の社会だという。選択肢が多い分迷うが、必ず良い選択肢はあるという考え方だ。つまり悪い選択肢は切り捨てるか、無視をする。一期一会という言葉があるが、まさにタイでの買い物も然り、今あるその商品が継続的にそこで購入できるとは限らないのである。
「これ賞味期限切れているけど大丈夫かなあ」この判断は難しい。特に日本食の手に入りにくい海外では賞味期限を厳密に考える人のほうが少ないように思える。つまりその賞味期限切れの商品を買う・買わないは、その人の五感や経験則に拠る部分が多い。
逆に言えば、いつから私たち日本人は自分の目で確かめて物を買わなくなったのであろう。知らない第三者の表示を盲目に信用し、商品を買うことに戸惑いがなくなったのはいつからであろう。
友人から聞いた話だが、先日、タイの某高級デパートで購入した子供のゲームソフトが純正品で無かったらしい。外見は間違いなく純正品の装いを呈していたのだが、中身は純正品とは明らかに違う物であったらしい。
「誰も純正品ですと言って売っているわけではない」デパートの店員の受け答えの一言だそうである。有名デパートだからと言って信用は出来無いのである。ある程度は自分が納得いくようにちゃんと確認する。タイではその必要性があるのである。
購買をする際の物を選ぶ力、つまり買う力が試される。偽装商品を見分けろとまでは誰も言えないが、少なくとも基本的なチェックをすれば大半の被害からは免れる事ができる。食品なら、見た目、匂い、変色の確認、一般の商品なら、包装、中身の確認、作動確認など基本的な事である。
現代社会は、日々変化する環境への対応力が求められている。これを養うには、問題に直面した時の解決経験を重ねることが重要である。その成功の繰り返しが単なる知識が身になる過程である。そしてこの「学ぶ習慣」を身に付けることが本来の意味での学習でなかろうかと筆者は思うのである。
そういう意味でもタイには「買う力」を養う学習の機会が溢れている。たまには市場に行って商品の吟味をしてみては如何であろう。段々と自分なりのこだわりが出てきて、自分なりのセンサーが復活するかもしれない。