ふたりのイーダ 読書感想文
新海誠監督の最新作、映画「すずめの戸締まり」の予告を観ました。歩く椅子と共に歩む主人公の姿を一目見て思い出した物語があります。
それが「ふたりのイーダ」なのです。
あらすじ
図書室から
わたしがこのお話に出会ったのは、小学校4年生の時でした。その頃のわたしは学校の図書室から本を借りて読むのが大好きでした。本の思い出と共に、古い木造校舎のがっしりとした本棚や、つやつやと黒く光る床板の感じまで、懐かしく思い出しました。
当時の学校では、一人一人に代本板という厚さ2cmくらいで直角三角形の板木が割り当てられていました。背には自分の名前が書いてあり、借りた本の場所へ代わりに挟み込むのです。返す時に本のあるべき場所を見失わないためです。
わたしの代本板は常に図書室の本棚にあり、教室に戻ることはありませんでした。「ふたりのイーダ」に出会ったのは、そんな頃のこと。そして主人公直樹とは、同じ歳の4年生の時のことです。
会いたくて会いたくて
子ども心には、物悲しくて切ないお話でした。しゃべる椅子は幼いイーダのことが大好きで、ある日突然いなくなったイーダのことを、待ち続け探し続けていたのですから。
「イナイ、イナイ、ドコニモ…、イナイ…。」
どれだけ探しても、見つけられない。子どもだったわたしには想像することしか出来ない、経験のない悲しみでした。それでも沁みるように椅子の気持ちに浸されていきました。
帰ってこない人達
椅子が探していた本当のイーダは、原爆の日に広島へ向かっていたのです。ですからこの物語は、ファンタジーの姿をした戦争のお話でした。
それでも原爆についての描写はほとんどありませんでした。家のカレンダーの日付け、止まったままの時計の針がそれを物語っていました。
椅子が探していたイーダのように、あの原爆の日に大切な人を置き去りにしたまま、帰ってこなかった人達は、ほんとうにたくさんいたのです。ほんとうにたくさん。何万人もの人達が。
しゃべる椅子が待ち続けていた様に、いつまでも、
「イナイ、イナイ、ドコニモ…、イナイ…。」と会いたい気持ちを昇華しきれないまま、待ち続けていたのでしょう。
小学4年生のわたしには、十分理解しきれないものでしたが、どうしても忘れられないお話として、心の中に鮮烈な印象を残していました。
なぜなら、映画に出てくるあの椅子は、イーダの椅子そのもので、それをひと目見た瞬間に、ここまで書いた全てを思い出したからです。
すずめの戸締まり
映画「すずめの戸締まり」は、11月11日の公開なのですね。それがどの様な展開になるのか今は知るよしもないけれど、この映画で、椅子となってしまった草太とともに災いの扉を閉めようとする鈴芽が、イーダと椅子の出遭った戦禍という未来までを、閉じてくれることを心秘かに願っています。
とっても面白そうです。映画館に行くことにします。その前に、「ふたりのイーダ」をもう一度読み直そうと思います📙☺️