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甲子園の詩 阿久悠さん

数年ぶりに甲子園の熱戦を観ています。ここ10年のわたしの夏は、市民球場で繰り広げられる亜細亜大の奮闘であり、タンチョウリーグでしたから⚾️

天候の影響で思いがけず順延が続いたため、タンチョウリーグも終了した今日は、久しぶりに甲子園大会をテレビで観ています。

わたしは応援者を自認していますが、そのスタートは高校野球でした。2人の息子達が小学校から野球をしていたこともあり、甲子園で活躍する球児達は、彼らのヒーローでもありました。

小さな夢

その頃からわたしは、試合の展開で印象に残ったことを詩に残すようになりました。プレーのことはいつまでたってもよく分からないので、球児の心の動きやチームの雰囲気、心に残ったシーンなどが主なものでした。

そして、小さな夢が出来ました。

それは野球の大会のたびに球場に通い、高校野球の詩を書くこと。そのきっかけとなったのが、阿久悠さんの「あんでぱんだん」甲子園の詩なのです。

甲子園の詩

こちらのページは、1999年から2006年までに、スポニチに掲載された、新甲子園の詩の年ごとの目次です。そこからさらにそこから、年ごとの詩の目次へと進みます。


駒大苫小牧の詩

北海道の高校野球ファンであれば、必ず記憶に残っている輝く3年間があります。駒大苫小牧の2連覇から準優勝までの道のりです。2006年の大会は社会現象にもなりましたから、高校野球ファンでなくても、知っている方も多いことでしょうね。

高校野球界で語りつがれてきた、東北以北の悲願、「優勝旗が、白河の関を越える」という偉業を果たした、2004年北海道初優勝の詩はありませんが、その分も含めて、阿久悠さんが駒大苫小牧の詩を書いてくださっています。

読めば必ず当時のことが思い出され、胸が熱くなります。2004年の決勝の日は特に、町から人影が消えどの家でも固唾を飲んで優勝の瞬間を見守りました。北海道にとってその瞬間は奇跡のようなもので、続く2005年に連覇の未来が待っているなんて、ほとんどのファンにとって、想像もつかないことでした。それを駒大苫小牧は成し遂げました。

詩が残すもの

感動を伝える手段は様々にあります。熱闘甲子園、瞬間を捉えた写真、コラム、データとしての記録。そして詩。

阿久悠さんの詩が教えてくれるように、詩は書いた人の目と心を通して描き出されていきます。その時の気配、心震わせるもの、様々な事柄が読むことによってまざまざと思い出されます。

そんな詩を書きたいなあ、というのがわたしの密かな願いなのです。

アイスホッケーの詩

今はアイスホッケーを中心に詩を書いています。ところがアイスホッケーの詩は難しいのです。野球のようにプレーが止まることがないですし、バントやスクイズ、ヒットエンドランのように、素人にも観て分かる作戦というものが、アイスホッケーの場合はなかなか見取れません😅

それでもそれぞれの試合の意味や意図を、詩に残していきたいと思っています。それは、わたしの心を通して見る作業になり、心の内を露わにすることでもあるのでなかなか勇気がいります。今シーズンはアイスホッケーのお友達にも、少しずつ紹介してみたいと思っています。

優勝旗の行方

テレビでは今も球児達の奮闘が続いています。深紅の大優勝旗を持ち帰るのは、いったいどのチームでしょう。どのような結果になろうとも、全選手、全チーム、それぞれにとって、意味を持つ大会になることを願っています。

最後にわたしが大好きな駒大苫小牧2005年のキャプテンが、センバツ大会で行った選手宣誓の文を以下の記事で紹介しますね♪

しっとりと語りかけるように宣誓した林主将。それをじっと聞いていたあのひと時も、わたしの人生の宝物です✨

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