ノンデジ旅 #3
2年ぶりに出発だ
ノンデジタルで旅をする。そんなテーマを決めたのは、去年の冬ごろ。無情に旅をしたくなった。しかし、ただ旅をするだけではつまらない。何か自分の中でテーマを決めたい。悩んだ末に思い浮かんだのが、デジタル機器を一切使用しないで旅をするというスタイルだった。
バックパックの中身はシンプルだ。地図、時刻表、カメラ、財布、手帳そして、替えの下着が少々。なにか、身軽な気がする。全ての持ち物に、干渉することのない役割が振られているのは非常に気持ちが良い。一つ一つのものにも不思議と愛着が湧いてくる。
赤い彗星と呼ばれる、標準軌を恐ろしいほどのスピードで走る私鉄に乗り羽田空港第一ターミナルについた。本来であれば、チェックインなど不要であるが、今回はノンデジ旅ということで手帳に控えた予約番号でチェックインを行う。
ノンデジを追求すべく自動チェックインカウンターではなく、有人カウンターの利用も考えてはいたが、コロナ禍ということで”デジタル”の方を利用した。チェックイン機を操作して予約番号を入力しようとすると、やけに誤入力が頻発する。3を押したかと思うと4や6が入力されてしまう。どういうことかと思っていると、チェックイン機の上に”タッチレスでご利用いただけます”との注意書きがあった。どうやら画面に触れることなく、入力ができたらしい。確かに、画面に触れる1cm手前ほどで反応するため画面に触れる必要はない。静電気のセンサの感度が高いのかな〜などと思いながら、自らが超能力を操っているようでとても楽しかった。ARの感覚に近いのだろうか。
保安検査場を通過し、飛行機を一望できる素晴らしい空間に訪れると、旅の実感が自分の中で芽生える。人間がどんなに綺麗に整列していても、美しいと感じない私であるが、駐機場に並ぶ飛行機はとても美しい。
久しぶりに飛行機に乗り込む。予約したとき、今回の便はB767の国際線機材とのことだったので、久しぶりにCF6のエンジン音を聞くことができると思っていたのだが、機材変更のため小型機のB737に変更されてしまった。少々残念であったが、「飛行機に久しぶりに乗ることができる」という気持ちが勝ってあまり気にならなかった。
飛行機が駐機場を出てしばらくすると、機内のエアコンが消え、圧縮空気を右エンジンに送り込み、回転数を上げ、始動させる。右エンジンから始動させるのは、主な交通手段が船舶だった頃の名残のようなもので、当時は左から客を乗せていたため、安全のため客に遠いほうから始動させていたらしい。飛行機は羽田のR16から速度を上げ、飛び立つ。
しばらくして水平飛行に入ると、機内サービスが始まる。JALのコンソメスープをもらうことにした。一口飲むと、ANAとは変わった美味しさがある。むしろ、ANAよりも美味しい気がする。機内のプラセボ効果といったところだろうか。久しぶりの機内誌を読んでいると、機長からアナウンスがあった。どうやら、出発の時点で遅れが出ていたらしい。安全の範囲内で、速度を上げ、飛行するらしい。
空を眺めていると、白煙を上げた山が見えてきた。阿蘇山である。噴火口の様子がよくわかる。ちょうどこの日は阿蘇山の噴火レベルが3に引き上げられたときだった。万が一を考え、阿蘇山へ行くのはやめた。
飛行機は熊本空港に到着した頃には、遅れは解消され、駐機場に着いたのはちょうど定刻だった。機長の操縦技術には脱帽である。
熊本へ到着
空港ライナーを使い、肥後大津駅に向かった。JR九州の815系に乗り、まずは新水前寺駅に行くことにした。新水前寺駅からは、路面電車に乗ることができる。815系の車内を観察していると、車内にゴミ箱があることに気づく。各駅にゴミ箱を設置するよりも、管理がしやすいのだろうか。
新水前寺駅につき、高架橋を下ると路面電車の新水前寺駅がある。熊本の路面電車は一律の料金で、1回乗るごとに170円かかる。また、1日乗車券というものもあり、そちらは乗り放題で500円。要するに、1日に3回以上乗車すれば一日乗車券を買った方が得なのだ。私は、迷わずに1日乗車券を購入した。
路面電車の乗り方はバスのような要領で使うことができる。後ろから乗り込み、前から出る。降りたい駅で、「止まります」のボタンを押す。とても簡単である。また、他の車と同じように信号では停止をする。路面電車のノッチ捌きは見入るものがある。2マスコン操作で空気ブレーキを操作するのも素晴らしい。 私は水前寺公園でボタンを押し、降車した。水前寺公園駅の近くは水前寺城趣園がある。しばらく悩んだ末に、400円という値段を理由にしてその場を去った。後から、気がついたのだが、1日乗車券を見せると、1割引されるそうだ。360円、、、、360円か、、、、別に、後悔はしていない。 1日乗車券を買ったので、いくら路面電車を使っても損することはない。江津湖公園という素晴らしい場所に行くために、わずか数百メートルの水前寺公園ー市立体育館前の間を路面電車を使って、移動し、江津湖公園へ向かった。 私がかつて熊本に訪れた時に、もっとも印象に残っている場所が江津湖公園である。すべてが素晴らしかった。川の水は透き通っており、ため池のような場所でさえ子供たちが泳いでいた。生物種も豊かで、さまざまな水生生物を捕まえたのを覚えている。また、記憶に新しく、最も有名なものは、ため池の中心にある象の形をした滑り台ではないだろうか。かつての私は、自らの身長と恐怖心のために、その場所へ辿り着くことができなかった。
江津湖公園に着いた。公園を散策していると、かつての記憶が蘇ってくる。不思議な感覚だった。しばらく歩いていると、望遠レンズを構えた人たちが池の方へレンズをむけている。その先をよく見ると、おそらく人口的に作られたであろう「The かわせみが止まりそうな枝」が並んでいる。よく、かわせみの写真で見るような枝である。いい具合に曲がっている。私は、複雑な気持ちになった。かつて、夢中になっていた「野」鳥の写真は、野生的な姿ではなかったのかもしれないという事実と、野生の鳥の姿を撮影し、その苦労も含めて楽しむ、「野鳥」撮影の意義がこの場では失われつつあるということだ。池上に他の止まり木はなく、当たり前のようにかわせみがとます。それを500mmほどの望遠レンズと一桁機で連写する。撮影スタイルからして、飛び込みを狙っている人はいなかった。一体なにが楽しいのだろうか。動物園の鳥を撮影するのと同じである。そこに苦労で積み上げた技術は必要なく、お金だけが写真の良し悪しを決定している。なんだかなぁと思いながら、散策を続けた。
一台の自動販売機が目に入った。客観的に見れば、何の変哲もない自動販売機である。この自動販売機は10年前、わたしに無銭、愛のスコールをスコールのようにもたらしてくれた。と、いうのも10年前の朝、江津湖公園で散歩をしていると、ちょうどその自動販売機を利用しているおじさんがいた。そのおじさんが、ボタンを愛のスコールのボタンを一回押した途端に、スコールのように、同じペットボトル飲料が10本ほど出てきた。どうやら、自動販売機が壊れていたらしい。おじさんが通りかかった私に声をかけると、ただでスコールをもらうことができた。10年経った現在では愛のスコールは販売していなかったが、記念に清涼飲料水を買い、その場を後にした。
江津湖を川沿いに歩いていくと、まるでジャングルのような、異色な植物が生い茂った場所が現れる。その植物はとても背が高く、南国を連想させるような風貌であった。不思議に思って近寄ると、下の方に「バショウ」という説明が書かれている。私には、「バショウ」と聞くと、「ミズバショウ」のイメージしかなかったため、驚きである。
「バショウ」の作る道を通り抜けると、池があり、またもや例の「かわせみの止まり木」があった。池の周りを歩いていると、一人のおじさんに出会った。おじさんの周りには5匹ほどの猫がいて、片手には望遠レンズをつけたカメラを持っている。話を進めると、鳥の話になった。どうやら、おじさんは私と同様に「かわせみの止まり木」は好きではないらしい。同じように思っている人がいて、なぜか安心していると、おじさんは鳥の写真を見せてくれた。写真を見るとダイサギのようだが、少し違う。普通、ダイサギの足は黒色なのだが、おじさんの写真をみると、足が黄色なのだチュウサギとオオサギの差ではないらしい。 おじさんとの会話は猫に移った。江津湖公園には多くの猫がいるらしい。ほとんどの猫を見る限り、去勢手術が行われているようだ。どの猫もノラには思えないほど毛並みが整っていた。とても人懐っこい。私が「この子、可愛いですね」と言うと、おじさんは「その猫が一番年寄りだよ」という。どうやら、おじさんは猫の顔を覚えているらしい。それにしても、綺麗な猫たちである。おじさんの話によると、頭のおかしい人もいるようで、こんなにも可愛い猫たちに、BB弾の銃で攻撃していた人がいるらしい。本当にあり得ない。しかし、いまこうやって人に懐いていると言うことは、多くの人に愛されているのだろう。
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