社会人になり4年という月日が経った。〜夏のある日に考える思い〜
———地元秋田の大学を卒業し、全国規模の企業に勤め、営業マンとして働いてからもう4年も経った。あっという間だとは思わない。今日に至るまで、いくらかは苦労をしてきたつもりだ。その甲斐があったから今がある、生活ができている。
しかし、生きることは辛いと思う時期も当然あった。
⑴自己分析をしてみる。
私が人を頼るときは、大抵自分の力ではどうにもできない事案がした時。そんな時は、とても気持ち悪くなる。自分でなんとかしようと考えた挙句、自分ではどうにもならないと、ある種挑戦を諦めた瞬間と言えるからだ。それが何度も繰り返されると、自分に自信など持てず、行動範囲が狭まってしまう。
だが、逆に自分の判断で行動して何事もなくことが収まる場合、自信になり、行動範囲が広がる。営業しずらいと思っていたところへスラ物おじせずに向かうことができる。なんなら、どうしていけなかったのか、過去の自分を疑問視してしまうほどだ。
それほどまでに、私の行動範囲は「結果次第」だった。小学生の頃から続けてきたサッカーや大学で始めたバレーボールも、試合に負け続けてきたから自信を持ってプレーをしたことがあっただろうか。結果なんて、見えるだけで、実感してもその時限りのものだというのに。そればかりを気にしてしまう、私の弱さだ。
⑵向かうべき目的地は?
結果ばかりに左右されてしまう豆腐メンタルな私は、どうして今の人生を続けているのか。私が生きることが辛いと考えるときは、「なんのために生きているのか分からなくなる」からだ。分からない訳じゃない、本当はどうしようもない課題や壁を前にして、病んでしまっているからだ。そんなときは、ほぼ確実に目的意識を見失っている。PDCAサイクルが最も分かりやすい考え方で、そのサイクルをこなせていないと、単純に結果思考になり、病んでしまう。結果が伴っていなくとも、目的にたどり着く行動ができていればその人自身は病むことがあるか。私が今向かう目的地は明確ではないが、少なくとも裕福になり、私の環境を取り巻く人々の皆を幸せにしたいと思っている。それには、マイナスな状況を打開しなければなるまい。
———私がNoteに投稿をするときは、自分を奮い立たせたい瞬間だ。今のままではだめだ、何か変わらなくては、と。しかし、人間そう簡単には変わらない。結局、周囲に影響を受けるので、個人でなんとかしようとするのはもうやめることにする。無茶はまだまだするが、無鉄砲な自分とは、もうさよならをしよう。。
結果に伴う目的意識とそこへ向かうための過程を大事に、計画的な自分であろう。
PS.怒鳴ればなんとかなるやつは喧嘩がしたいのか?大人にもなって、キレてばかりいる人は、私には理解できない。
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