「内なる不満」に気づけば世界が変わる。~大丈夫アピールをやめる~
今日のテーマは
「”不満”に気づけば世界が変わる」
です。
「不満」ね。
これものすごく大事なんです。
「人は自分の”不満”に気づいていない」
と言ったら、びっくりしますか?
ぼくらは、ほんとに容易に
じぶんの気持ちを抑えますからね。
「何がしたいか」の前に
「そもそも何がイヤなのか」
についてわかっていないことも多いです。
無意識に気取ってしまい
「特に不満はないです」
「悩みもないです」
「おおかた満足しています」
なんて言ってしまうことも多い。
けれども、その状態で
講座やセッションを申し込んだとなれば、
やはり潜在的には、何か「不満」があると言わざるを得ない。
「なんとなく参加しました」
という方もいらっしゃるけれども、
やはりお金と時間をそれなりに使うわけです。
そこには潜在的に、「何かを解決したい」という思いが
はたらいているはずです。
そこを読み解くだけでも
体験セッションの価値があったりします。
「お金は月に15万で十分です」
なんて言っていても、
本当は30万くらいほしいケースもある。
「夫婦関係は問題ないです」と言っていても、
ホントはパートナーに対して言えない不満があったりする。
それをぼくらは
「なかったこと」
にしたいんです。
SNSが普及し、
「悩んでる私」よりも
「幸せな私」をアピールしたいと
いう気持ちもあるでしょう。
パートナーも、お金も、健康も、ばっちりです!
じゃないと外に出してはいけない風潮まである気もする。
そんなこんなで、
「特に問題ないです」
と言いたがることが多い。
「過去のトラウマ」とかもね、
「もう解決したんで、触らなくて大丈夫です」とか。
「ストレスとか、あまり溜めないんで」とか。
ああ、そうだね、
「大丈夫アピール」
だね。
これはけっこう根深いものがあるケースが多い。
「大丈夫アピール」は
「大丈夫バリア」なのだ。
「もうこれ以上、触れないで」
「もうこれ以上、傷つきたくない」
「もうこれ以上、心は開きたくない」
「もうこれ以上、私に関わってほしくない」
そんなとき僕らは
「大丈夫バリア」を張ってしまう。
しかしその本心は
「もっと見てほしい」
「助けてほしい」
「心を開いてほしい」
なのだ。
その本心のエネルギーが強ければ強いほど、
強いバリアを張ってしまう。
いつもいい人、ニコニコ明るい。
やたらと礼儀正しい。
やたらと腰が低い。
そういう人は、カラダがガチガチなことが多い。
親鸞の有名なことばで、
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
というのがあります。
「いい人でさえ天国にいけるから、
そりゃもちろん悪人は天国にいけるにきまってら」
という意味です。
すごいですね、
「いい人」が、ずいぶん下に見られていますね笑
バリアとしての「いい人」を親鸞は見破っています。
そこから脱するには、
「不満」
を言ってみることです。
「ほんとうは、これがイヤだ」
「謙虚なふりをしていたけど、欲を言えば○○だ」
「私には無理と思って抑えていたけど、本当はこれが苦痛だ」
こういうことに気づくのがファーストステップ。
そして、「表現」していくのがセカンドステップ。
「行動」していくのがサードステップです。
これらのステップを踏んでいくのには
「勇気」
が必要です。
この勇気を出さないで
「いい人」
にとどまること。
「バリア」で防衛すること。
これは、どんどん体を固めてしまう。
極論、病気への道ともいえるでしょう。
日々、潜在的に呼吸を止めてエネルギーを鬱屈させるわけですからね。
だから「不満」に気づくことは大事です。
ホンネを言ってみる。
大丈夫バリアを外してみる。
それが進んでくると、
ふーっと呼吸がラクになってきます。
「ああ、こんなに我慢していたんだ」
と泣けてくる。
ほんと僕らは無意識にいろんなことを
ガマンして抑えていますからね。
しかし、それは「可能性」です。
ガマンがダメなんじゃない。
「あなたには、まだまだ可能性があるよ」
って言いたいんです。
もちろん自分自身にも言いたい。
「お前は、もっともっとはばたくぞ」ってね。
「もう私はこんなもんだ」
ってあきらめるなら自己探求なんていらない。
ホンネで対話する必要もない。
けどね、
「私まだなんか本気じゃない気がする」
「なんかもっといける気がする」
「人生やるだけやって死にたい」
と思うのなら、
「自己を知っていく」
ということを楽しんでもいいと思うんだよ。
ってわけで今日は
「不満を知れば世界が変わる」
でした。
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