鹿児島睦「まいにち展」へ
展覧会や美術館は好きですか?
私は若い頃、実はとても苦手でした。
展示されているものに、
共感したり憧れたり感激する場所だと思っていたから。
もちろんそういう場でもあると思う。
でもこの年になって、私の場合、
多くはきっとその反対、と思ったんです。
入口に入った瞬間から感じる、自分の世界観とは違う、
違和感、引っかかり、疑問。
それに対して、出口に辿り着くまでに
自分に語りかけながら、きっとこうだろうなぁという答えを感じとりにいく場所。
だと。
例えば今回の展覧会は、鹿児島睦(かごしま まこと)さんという現代の超人気アーティスト。
正直私はこの方のデザインのファンという訳ではなくて、この方のコラボレーションしたパッケージを1度買ったことがあるくらい。
自然や動物のモチーフはとても好き、なのだけど
イラスト風のタッチはどれも賑やかで
私の日常には可愛すぎるかな、と実は感じていた。
にもかかわらず、私がこの展覧会へ行こうと思ったのは、展覧会のネーミングがなぜかとても気になったから。そしてその答えを探しに行った。
が、まさか私は、入った途端からこんなに
心を奪われるとは思わなかった!
しかも、作品よりも、キャプションに(!)
わかるなぁ。朝って、優しい光と温かい食べ物があればそれでいい。
小さなテーブルで家族で身を寄せ合って、
黄色い器が目に入ったら心も温まってきそう。
そう。やっぱり私はごはんを、陽の光のもとで食べていたい。そしてそうか。人間だけでなくて、動物たちもごはんを食べるものね。
鹿児島睦さんの器には、動物や植物がいつも描かれている。こんな器があったら、一緒にテーブルを囲んでいる気持ちになれるのかな。
そんな時には、なんでも受け止める大きな器があったらいいよね。
夜は、親密。電球の明るさと声を絞って、「今日ね」って心を許しあうひととき。
そんな時こんな器があったら、1番の演出家だね。
まよなか
には、キャプションがなかった。
器たちは、静かにこうしてじっと待っているのかな、休んでいるのかな。
ここまできて、
さぁ、うちに帰って自分のお家の食器に会いに行こう。と私は思った。
私の毎日に、まるで子どものような遊び心と彩りをもたらしてくれている器。
それが1つあるだけで心が明るく照らされたり、ぬくもりを感じたり、柔らかくなる、そんな器が私の家にもいくつもある。
私は、毎日に慣れて、家の中にあるものたちに気を留めることが少なかったかもしれない。
この展示会のキャプションが、ひらがなで語りかけてくることも。
展覧会の名前がひらがなであることも。
鹿児島睦さんという男性が、まるで子どもが描いたみたいな絵付けをすることも。
「まいにち」を彩るものを、軽視しない。
そこにこそ、幸せが宿っているのだから。
展覧会の出口で、私はそう思った。
おわり