惹きつけてやまない物物
まず初めに謝らなければならない。当初は週に1本は書きたいといって初めた執筆。「義務になっては続かない」と自分に言い訳をして、気が向いた時だけ書くと方針転換をした。2020年3月の出来事である。そして、しばらくはその通りに気が向いた時にだけ書いた。そして途絶えた。2020年9月の出来事である。私は「忙しい」「時間がない」と、だらしのない大学生のような言い訳を並べ、ごまかしごまかしここまで来た。実に7ヶ月と半分が経過している。半年以上も執筆をせずに来てしまったら、これはもう「書かない」ということが日常化してしまったも同然である。少し戻って、年が明けた今年の2月、高校時代のある友人からインスタグラムのダイレクトメッセージで「noteの更新を楽しみにしているよ」とコメントがあった。とてつもなく申し訳ない気持ちになった。実際そのあたりで一本の記事を書いていたのだが、なんにせよその文章には世に送り出せるほどのキレが全くなくて個人的に気に入らず、書いては消し書いては消しという徒労を繰り返していた。そうしてダラダラと書かない日がまた続いていたのだが、ついに先日、その友人が夢に現れた。そしてどこか冷ややかな目で私にこう告げた。
「もう書かないの?笑」
こんな拙文でも楽しみにしてくれている人がいることを忘れかけていた。危ないところであった。そして私も書くことが嫌いになったわけではないし、何より三日坊主をこれ以上増やすわけにはいかないと思った。私の人生は三日坊主ばかりで、もはや三日アフロくらいになっている。執筆までもアフロの一角とするわけにはいかない。夢にまで出てきてくれた友人に感謝したい。サンキューマッツ。
さて、そんなこんなでとてつもなく久しぶりに文章を書いているわけであるが、私も何も考えずに漠然と半年を過ごしてきたわけではない。何について語りたいかということは、この期間でとてつもなくたくさん考えてきた。書きたい内容は募り募ったのだが、結局書かなかったため、トピックのストック自体が故郷の富士山の如く溜まっている。まぁそれはよしとして、今回はその中から私が一際書きたいと思っていたとびきりのものを選抜しよう。
それが、今回の表題にもなっている惹きつけてやまない物物である。
人間とは面白いもので、何に魅力を感じるのかという基準や感性が人によって大いに異なる。可愛らしいもの、やわらかいもの、甘いもの、大きいもの、フランス製のもの、赤いもの、などなど、その属性も完全に列挙することはできないほどに数多に存在する。私は変人なので自分以外の誰かのこうした部分を聞くことが頗る好きだ。読者諸君はどんなものに惹きつけられるだろうか。もう少し勿体ぶりたいところだが、まず私の場合はというと、“ためだけにあるもの”である。“ためだけにあるもの”というと少しわかりにくいかもしれないが、簡単にいうと用途が果てしなく限られたもののことだ。もう少し詳しく解説していこう。
近頃の世の中は便利になりすぎたているため、一つのものでなんでもできてしまうということが多すぎる。例えば、元々はどこか遠くにいる誰かと話すために開発された電話は、近頃は何に使うのかもわからないような機能まで搭載されている。それが別に悪いことだとは言わない。実際私だって携帯電話は電話をするためだけではなく、天気予報を見たり、ヤクルトスワローズの勝敗で一喜一憂したり、音楽を聞いたりと様々な用途で使っている。しかし、そんな便利すぎる世の中で、不器用に、愚直に何かのためだけに存在しているものがあるのだ。その奥ゆかしさといったら、私の知りうる言語では到底表現できないし、私はそういう物に魅力を感じて仕方がないのだ。
いまいちピンときていない人のために具体的な例を出して説明しよう。例えばバターナイフなんかはどうだろうか。その名の通り、“ほとんど”バターを塗るためだけに存在している。別にスプーンや普通のナイフで塗ることだってできるのに、バターを何かに塗るためだけにこいつは存在しているのだ。私は世界で最初に「バターを塗るためのナイフを作ろう」と考えた人に心から称賛を送りたいと常日頃から思っている。
もう一つ例を挙げてみよう。習字をするときに紙を押さえておくための文鎮。あれは紙がずれないように、あるいは風で飛んでいかないようにするためだけにある。形やあしらいも様々だ。私が幼少期に通っていた習字教室の先生の文鎮は、持ち手が龍になっていた。あまりにも格好良くて私はあれが欲しくてたまらなかった。もっとも、この頃の私は文鎮が紙を押さえるためだけにある魅力に取り憑かれていたのではなく、単純に龍が格好良かっただけであるが。
話を戻そう。なんとなく私の言っている”ためだけにあるもの”のイメージができてきたであろうか。考えてみると、便利になり過ぎたこの世の中でも意外と身の回りには、いまだに愚直に頑張っている“奴ら”は多い。こういうものを見つけることこそが私の楽しみなのだ。
しかし、先に例として挙げたバターナイフや文鎮は、まだまだ”ためだけレベル”としては低い。私が先ほどバターナイフを紹介した時「“ほとんど”バターを塗るためだけに存在している」と表現したのは、例えばバターナイフでも、ジャムやマーガリンを塗ることだってできるし、怠惰な私は時にチーズを半分にカットしたりするのにもバターナイフを使ってしまったりするからだ。あるいはバターを塗るときに、一番近くにあったものがバターナイフではなくスプーンだった時には、バターを塗るためだけにいるバターナイフを差し置いてスプーンでバターを塗ってしまう。この時ばかりは私も少々申し訳ない気持ちになるが、面倒臭いものは仕方がない。文鎮もそうだ。習字の時の紙を押さえておくためだけに存在しているが、しようと思えば部屋の飾りにもなりうるし、反対に紙を押さえておくのにわざわざ文鎮などを用意せずとも、鴨川に転がっているそれらしい石で代用することもできる。確かにバターナイフも文鎮も、他の色々なものに比べたらそれなりに用途は制限されており、私のいう”ためだけにある物”の一角を担っているのは事実なのだが、どこか代用がきいたり、あるいは別用途で使うことができる感じが否めない。そう感じて以来、私は究極のためだけにある物を探している。今日は特別に、私の中のためだけにあるものランキング暫定上位2つを紹介しよう。
まず1つ目はエッグスタンドだ。その名の通り、こいつはエッグをスタンドさせるためだけに存在している。他の何で代用することもできなければ、逆にこいつの他の使い道など到底思いつかない。そもそも世の中には、たまご以外にたまごの形をしているものはほとんどないので、これはもうたまごを立てるためだけにしか使えないのだ。当初はなぜたまごをわざわざ立てなければならないのかと思ったが、これはゆでたまごをスプーンですくいながら食べたり、パンの耳を中身が半熟のたまごの黄身につけて食べたりするのに、たまごを立てておいた方が食べやすいからだそうだ。
私が初めてエッグスタンドに出会ったのは小学校4年生の頃だった。倉敷に住む祖父の調子が良くなく、もう長くはないだろうということで最期に会いにいった時だった。祖父の家に泊まると介護の邪魔になるかもしれないということで、倉敷の駅前にあるとてつもなく怪しいインを家族4人で予約してそこに泊まった。とてつもなく狭い部屋で、油性の単色絵の具でベタ塗りしたような赤青黄緑の4色のベッドが壁にたがいちがいに4段になってめり込んでいた。恐ろしく落ち着かない部屋に父も母も呆れた。私も弟も、その異常な雰囲気の部屋が怖くて、ろくに眠れなかった。翌朝そこのモーニングで私はエッグスタンドに出会った。つるりんと綺麗な温かいゆでたまごは使い古された傷だらけのシルバーの上に立って出てきた。母親は塩を振って食べるといいと教えてくれた。弟も私もたまごが立って出てきたことが異常に面白く、「ここのホテルはお金がないからぼろぼろだし、大きいお皿も買えないからたまごしかのらないくらい小さいお皿しかないんだ」と思いきりバカにしたのだった。まさか大人になってこれほどに惹きつけられることになるとは知る由もなかった。
これは私が愛用しているエッグスタンドだ。私のガールフレンドがモロッコで買ってきてくれた。ゆでたまごではなく生卵が殻ごと立っている点はご容赦いただきたい。なにしろ私は面倒くさがりな一面もあるもので…。
もう一つ、私の中の究極シリーズにランクインしているものはカフスだ。カフスというのは正式名称をカフリンクスというらしい。最近ではあまり身につけている人を見ないが、ブラウスやドレスシャツの袖口を留めておくためのアクセサリーである。これもまた、シャツの袖口を留めておくためだけに存在している。用途がどこを探しても”シャツの袖口を留めておくこと”意外に何もないのだ。しかもこれが、絶対になくては困るものではなく、別に無くても全く差し支えはないのに、単にお洒落のためにあるというのだから私が魅力を感じないわけがなかった。ネクタイやベルト、革靴といった小物にこだわる大人が究極に粋で格好良いと思っていたが、カフスは私の中でそれらにこだわる大人を超えてきた。カフスの存在を知った時は本当に驚きだった。私は心底袖口にお気に入りのカフスをきらりと忍ばせられるじじいになりたいと思ったのだった。
とはいえ私はまだカフスを持っていない。こうなってしまうと人生最初のマイカフスはとことん拘りたいとなるのが私の性だ。そうはいっても着用する機会がたくさんあるものでもないため、本当に心から気に入ったものを見つけた時にそれを1組購入して長く大事に使いたいと考えている。こうして私の究極のカフスに出会う旅が始まったのだ。
読者諸君はどんなものに魅力を感じるだろうか。あるいは今日この投稿を見て”ためだけにあるもの”に魅力を感じた人が出てきてくれたらこんなに嬉しいことはない。そんな素敵な人が万が一にでもいたのなら、是非とも名乗り出て欲しい。それぞれのお気に入りの”ためだけにあるもの”を話す”ためだけの夜”を一緒に過ごそうではないか。
2021年4月28日
自宅にて