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最近のわたし / 真っ白な1月
1月にしては、めずらしいほど積雪がない。
とはいえど、まだまだ見えるのは雪景色であり、暴風雪やホワイトアウトは例年2月に多くなるので油断ならない。土の匂いもはるか遠く、緑もない真っ白な世界。
色のある季節がとても恋しくなる。
鏡を見れば、キラッと光るものが目に入る。
30代前半、白髪と出会うなど思ってもみなかった。
もう3、4本は見かけただろうか。
だが不思議と嫌ではない。
ほとんどの人が、白い髪とおさらばしようと抜いたり染めたりするけれども、私は"今はこのままでいいや"なんて思っている。
先日、「老い」とやらを感じてしまう出来事があった。
2泊3日の予定で午前中に自宅を出発。
宿泊先に着き、思いもよらないことが発覚する。
なんと大事なものを2つも忘れてしまった。
「コンタクト」 「下着(下)」
いや、書いていても恥ずかしくなってしまう。
よりによってなぜこの2品を忘れてしまったのだろうか。下着はすぐにでも買いたかったのだが、近くにはショッピングモールはおろかコンビニすらない。まさか夫の下着を借りるわけにもいかないので、震える手でスマホを操作し探したところ、車で20分程の距離に『しまむら』を見つけた。そして降雪の中、百貨店以上に輝いて見えた『しまむら』へ入店し、なんとか下着難民を回避することができたのだ。
とにもかくにも、これで下着は解決。
だがコンタクトに関しては、どうすることもできない案件だ。購入できる場所がないのだ。私は視力が悪いので、外出先では必ずコンタクトを使用し、家では眼鏡をかけている。眼鏡が似合うならばよいのだがそうではないため他人には見せたくない、絶対に。「お前の代わりはいないんだよ、頼むから今から来てくれ」と自宅に留まっているコンタクトに連絡したい気持ちでいっぱいになる。
そんなことできるはずもなく、この2泊3日の間、私は眼鏡姿での行動を余儀なくされた。顔は笑っていようが、心はどんより。「悩んでいても仕方がない!今を楽しもう!」という気持ちになったのは、翌日の朝だった。
しかしどうしても気分が晴れない。
それにはもう1つの理由があった。
「自分、大丈夫か?」という不安である。
私は忘れ物をあまりしたことがない。それは小学生の頃から社会人になった今でもだ。それなのに、自分の大切な2品を忘れるなんていったいどうしてしまったのか。家族は『すごく忙しくて頭がいっぱいだったからだ』と言ってくれたが、一抹の不安を抱えながら2泊3日の日々を過ごした。
それからは特に異常を感じることはないが「自分が自分ではなくなるのではないか」というのが1番の恐怖だった。
私は美魔女とやらになる気は全くない。
見た目はどれだけ老いてもよい、老いても私は私。
ただ頭の中と心は、いつまでも若々しくいたい。
自分を見失わずにいたい。
そんなことを思っている、最近。