【アホなことして育つ】常識をぶっ壊すようちえん、ここにあり!
こんにちは!大阪府高槻市のとある山の中でやりたいことだけやって一年中過ごしているようちえんがあります。その名も「おやまのようちえん」。
僕はおやまのようちえんでスタッフをしている酒井といいます。
僕は大学時代教育学部で学校教育について学び、社会に出てからも15年ほど野外活動や自然体験を手法として子どもたちの教育に携わってきました。
ずっと教育を生業にしてきた僕ですが、いつからかじわじわと子どもに何かを教えるということに対する違和感や抵抗感を感じるようになってきました。
そして辿り着いた
そして辿り着いたのがいまのおやまのようちえんで行っている自然の中でやりたいことをやって自由に過ごすというスタイルです。
お遊戯の時間も食事の時間もありません。
その時したいことがあればします。したければ何としてでもします!
川に入りたければ入ります。季節も常識も後先も関係ありません。
なんでそんなことすんねん笑
ってことばっかします。
大人から見れば、子どもはアホなことばっかりするけど、僕たち大人もアホなことばっかりやってきて大人になったし、机に向かったお勉強よりも実際やってきたアホなことから学んだことの方が一兆倍多かったはずです。
自分で決めてやってるからいいんです。
人から「えーキミたち、2月で気温一桁だけど、いまからこの木の板に乗って池を渡りなさい」と言われたら、やばいでしょう。苦行以外の何者でもありません。
でもこれ、笑い事じゃなくて、形を変えて教育現場で実際に行われているんです。
教育の目的と実情のギャップがとんでもない
教育の本来の目的は子どもを独り立ちさせること、いつの日か自分で自分の道を選べるようにさせることです。
親はいつか死にます。価値観は変化します。子どもが大人になった未来がどんな時代かは誰にもわかりません。
だから子どもが自分で生きる術(すべ)を身につけさせることが教育の本来の目的と言えます。
しかし、いままで教育の現場で当たり前に行われてきた時間割や教科があることや、暗記中心の学習や数値による評価があることは自立という目的に適っていないのではないでしょうか?
そもそも本人が身につける必要があると感じていない知識を覚えさせたところで本人にとって何の意味があるのでしょうか?
このような『教育』を行えば行うほど子どもたちは思考力や発想力を奪われ、自立から遠ざかっていくのではないでしょうか?
自分で考える人になるには、自分で考える経験をしなければそうはなりません。
自分で自分の生きる道を選べる人になるには、小さなことから自分のことを自分で決める経験をしなければそうはなりません。
自立するためには、知識を教え込むことも厳しい訓練も必要ありません。
必要なことは必要なときに必要なだけ本人が求めて吸収します。
まわりはただ信じて邪魔さえしなければいいのです。
そのために大人は自分は自分で楽しんで、対等でいればいいです。
大人が思うより子どもはたくましいです。
ではまた〜
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