【読書】 ある戦いの描写 フランツ・カフカ
私たちはこの地上に順応して。協調していくという根底に立って生活しているんですからね
青年がある日突然毒虫に変わってしまう『変身』の読了後、人の生活の根底にある、孤独や制約の描写に味わった事のない、不思議な胸の痛みを感じました。正体のつかめない感情をいったいなんなんだろうと考えているうちに『ある戦いの描写』を手に取ってみたのですが・・。
読了の正直な感想は「怖くなるほど人間の内部が描写されている」でした。家庭があって、生活があって、人との交流があり、それらは「できて当たり前」だと世間では思われているーそんな大前提が、ひとりひとりによって異なるのだということを見せつけられました。
衝撃を感じた『変身』とは異なり、いつも見ようともしなかった現実が急遽姿を見せたというような、「はっとする」という表現が最も適切な作品だと感じました。心に残った文章を取り出し、感想を残してゆきます。
自分と他人
私はあなたに好奇心だけで結びつき、あなたはただ不安の念だけで私に結ばれてるわけなんですが。
他人との人間関係を構築する時、ビジネス(仕事)ならば、さしたる気苦労をせずに構築に当たれる。ぼくは、そう思います。買う、売るという契約を交わすという目的があるからです。そこには当然、利害が絡んでくる。でも、損得も契約のうちだと考えれば、いくらでも割りきれる。
でも、仕事上よりも厄介な人間関係はそこらじゅうに転がっている。そう感じます。(ぼくの考える)友人は「一緒にいるのに理由はいらない」関係だと考えています。だから、「友達になろう」をすっぱり言えたことはあまりありません。そこが「恋人」とは違うのかもしれません。
そう考えると、カフカの文章には妙な説得感が湧いてきます。好奇心と不安。どちらもはっきりとした形をもたない、ふわふわとした物体。それが、他人と自分との間を行ったり来たりしているのだと思うと、不思議な気持ちになります。
孤独
他人に見られることによってーこの町全体が自分の周囲にある・・
もし世界で最後の一人になってしまったら、もはや「孤独」とは言えないのでは?自分とは心も体も全く異なる人が世界に共存していること。それが、「孤独」なんじゃないかなと思うのです。
『ある戦いの描写』では、一人できちんと生活している登場人物が、誰からも注意を払われずにいる生活のなかで、自分の生がどんどん希薄になっていくという描写があります。想像した言葉は「個の埋没」。世界のだれもあなたに興味はない。そんな人物の内心を想像しました。
「関心」それこそ、人間が欲するものなのではないでしょうか。人によって大小さまざまであるけれど、「関心」の有無が「孤独」をわかつのだと思います。
真実と努力
真実ってずいぶん努力がいるんでしょう
わかるー共感した文章です。例えば、初対面の人とであったとき「見た目」や「雰囲気」について正直に話すなんてことはしないですよね。日本人に特有なのかもしれませんが、本音と建前を使い分ける文化に慣れ切っているぼくらにとって、「真実」は努力がいる。自分に対しても、他人に対しても。
順応という檻
私たちはこの地上に順応して、協調していくという根底にたって生活ししてるんですからな
「順応」という能力。どんなに住み心地の悪い家でも「住めば都」となることや、いじめを受けている側がいじめられることに順応する。環境が変化しても生きていけるように獲得した「順応」という能力に、自身の首を絞められる。そこをえぐり取った文章に震えました。
思えば私たちには文化があり、歴史がある。連綿と続き残ってきたそれらが、本当に良いのかは考えもしない。別に強制もされていないのに「白米」を食べ続けるように。
カフカにとっての順応とは「協調」だったのでしょうか。協調する上で幾重にも折り重なっていた「依れ」の存在に目がいってしまいます。ぼくたち人間は日々そうした「依れ」を生きているのだと思うとゾッとしてしまいます。
まとめ
赤の他人との話で終始進む本作に最初は退屈さを感じていました。やたらと描写が鮮明で、現実味に溢れ、その現実がある男のしがない生活の一場面だったからです。
それでも読み進めていくうちに、当事者になれる要素を誰もが持っていることに気づきました。「人とのつながり方」や「協調と順応」「真実への努力」などがまさにそうです。
最も強く感じたのは「閉塞感」でした。読書している時はたいてい、物語の世界に入り込み、現実から解放されるような気持ちになれる箇所がいくらかあります。本書にはそれがなかったのです。もはや、他人事とは思えない現実感にグイグイ引き込まれ、自分事のようにしかおもえない。
それは、大きな部分で、本作と共鳴しあうところが読者との間にあるからなのだと思いました。何度か読み返す必要のある一冊になりそうです。