【小説】魔女の告解室vol.9
前回までのあらすじ
魔女と人が共に暮らす町。最年少の魔女エレナは、魔女を束ねる、長老に就任するため、魔女集会に臨んだ。しかし、魔女の中には人間を憎み、滅ぼそうとする連中がいた。それらの存在がはっきりとしないまま、魔女を束ねる五人の指南役とエレナは出会い、長老としての日々が始まった。
第三章 魔女の仕事
窓から差し込む光でエレナを目を覚ました。庭に生えた立派な菩提樹から、小鳥の声がシャワーのように浴びせかけられている。
雨季を超え、登ったばかりの太陽が、じめっとした大地を照らす。
長老の朝は早い。六時に起床し、顔を洗い、歯を磨く。ついでは、図書館員の正装である、黒地に青の刺繍が入ったローブに着替え、家族より早めの朝食をとる。
髪を溶かし、後ろで一つにまとめて、ポニーテールにする。薄く化粧をして、ルージュの口紅をつけて、七時には図書館へ向かう。
同じ格好の世話人、スピラと共に、図書館の床をホウキではき、テーブルを布巾で磨く。二階建ての館内には、四方に大きな窓が八個ずつはめられており、カーテーンを開けて、窓を開く。各テーブルの上に置いてある花瓶に、真新しい花を生ける。今日は紫色のキキョウを生けた。
すぐに、最近普及し始めた、新聞が配達されてくる。他にも、有志の人々から寄贈されてくる本を、カウンターに並べる。整理番号を記入した付箋を背表紙にのり付けするのだ。
その後、一階をエレナが、二階をスピラに分かれて、書架の整理を始める。開館までの十時まで、滞りなく作業を進めていかなければ間に合わない。
この、一見、誠実な司書たちの仕事は、いわゆる表向きの業務である。彼女たちの本当の仕事は、人間のために図書館を管理するためにあらず、その実、この町に暮らす魔女の管理だった。
✒️ ✒️ ✒️ ✒️
「エレナ様。魔女による投函が五通来ております。内容の確認と、魔法行使が有れば、厳密に対処してください」
「わかったわ。スピラ」
「それと、紅茶を煎れました、こちらにおいておきます。ぬかりのないように」
「ありがとう」
図書館の前に設置された、青いポスト。人々が記念碑のように扱っているそのポストは、魔女によって、魔法で書かれた手紙が投函される。魔法で書かれている以上、内容は当然、魔法が絡んでくるもので、ここに投函された手紙を読む権利の一切を、長老か、長老の世話人が有している。エレナにとっては困難な仕事の一つである。
‥‥長老様。夫のトウモロコシ畑が不作に陥り、肥料や、水をやっても元気になりません。このままでは一家揃って飢えてしまいます。「蘇生の魔法」により、穀物の回復を行うことをお許しください。‥‥
すぐに、判を押すと、手紙は青い蝶となって、窓から、差出人のもとへ向かう。エレナは、このくらいの魔法を、逐一許可が無ければ使用してはならなかったことに驚いていた。だが、判断に困る手紙も多々ある。
‥‥長老様。私たち夫婦には、どうしても子供ができません。私に問題があれば、魔法によって対処できるのですが、夫の身体に問題があるようです。つきましては、夫に魔法を行使する許可を頂きたい。‥‥
同じ差出人から、同じ内容でこれまでに、三通の手紙が届いた。エレナとしては、判を押したいところだが、スピラにきつく止められていた。判の変わりに、不認可の手紙を書き添えるのも長老の仕事なのだ。
‥‥K様。毎回お断りしていますが、同じ女の身として、胸を痛めております。今回も魔法の行使を許可するわけにはいきません。変わりにはならないかもしれませんが、旦那様に滋養のつく食べ物の、入手法と調理法を添え書きさせていただきます。どうか、夫婦ともども、ご自愛くださいませ‥‥
手紙を出してくれるだけ、ありがたいのだとエレナは思う。中には、無許可で人間や自然に対し、大幅な影響を及ぼす魔法を行使する魔女がおり、魔法の痕跡や、障害への対処を行わなければならない。
エレナがいる、館長室の机には、開館と同時に、『魔法行使録』が広げられ、魔女がいつ、どこで、どんな魔法を使ったのかが詳細に自動記入されていく。それらを見ながら、問題があれば、当事者を訪ねて、問題を解決していく。
「エレナ様。校長のスカビオサ様から、歴史書を児童用に編纂し直すよう、お達しを頂いてます。それに加えて、二冊の魔法史の教科書の編纂依頼も承りました」
「児童用の歴史書なら1ヶ月もあれば作れるわ。でも、魔法史の教科書なんて何に使うの?魔女は私が最年少のはずだし、新しい魔女が誕生すれば、耳に入っているはずだけど」
「まだまだお伝えすることは、たくさんあるようですね。いいですか?エレナ様。例え魔女の素質を持った子どもが生まれても、正式に魔女とみなされるのは15歳の誕生日をすぎてからです。近年では、魔法の素質があっても、結局魔法を使いこなせなかったり、魔法が暴走することで、新たな魔女は出現していません。正真正銘、あなたが最年少の魔女なのです」
「待ってスピラ。魔法の素質があった子どもたちが、魔女になれなかった場合はどうなるの?」
「安心してください。魔法に感する一切の記憶を消されるだけで、あとはごく普通の人間として、生涯を過ごします」
エレナは胸を撫で下ろすと、冷めた紅茶を口に含む。12時きっかりに、午前中の業務を終了して、昼食を摂る。魔法書は地下に蔵書されているとはいえ、魔女達の中枢機関の一つである図書館で、人間を働かせるわけにはいかない。
混み始める一時までは、スピラが、一人で司書の仕事を行い、交代で昼食を摂り、それからは二人で司書業務をこなして行く。
新聞の普及によって、多くの人々が活字に触れるようになり、農民や職人など、お金のない人々たちが、昼になると、図書館へと押し寄せた。
静かに本を読むというよりも、町民の憩いの場になっており、この雰囲気の中で、エレナもまた育ったのだった。
「おお!エレナお嬢じゃないけ!あんれまぁ、別嬪さんになってぇ!司書様になったぁてのはほんとだったのかい」
「これこれ、やめなされよ。畑の土が、エレナちゃんに飛ぶでな。それよりエレナちゃんや、司書様になられたお祝いがまだだったのう、ほれ握手じゃ握手」
「爺さん、お前さんがエレナお嬢に土をつけてどうするんだい!いやいや、おいらたちみんなエレナお嬢を応援してるんだ」
「エレナお嬢なんて、照れ臭いよ。昔みたいにエレナでいいよ、エレナで」
「そういうわけにはいかねぇでな。エレナちゃんのお母様に睨まれたら叶わねぇからのぉ」
エレナの人望は高かった。貴族の娘でありながら、分け隔てなく人々と関わってきた。畑仕事に限らず、職人の手伝いなんかもした。一方で、教会、図書館によく通い、沢山の人々に可愛がられて、成長してきたのだ。
隣にいた、スピラは、一週間前の、魔女集会を思い出していた。
「エレナは確かに、人間が憎い、と言っていたわ。そのおかげで、おそらく、人間を滅ぼそうとして、生前の長老と、対立していた魔女達も、様子を見る結果になった。しかし、このエレナの、人間からの慕われ様を見られれば、事態がどう転ぶか分からなくなる」
一抹の不安。だが、スピラもまた、エレナを完全に信用してはいなかった。いくら、長老が選んだ魔女とは言え、一度人間を罠に嵌めて殺した事実は動かない。先日のスピーチしかり、次に何をしだすか分からない恐怖もあった。
午後4時にもなると、人はまばらになり、5時にはほとんどの人間が帰っていく。6時から8時にかけて、今度は魔女たちが図書館を訪れる。地下一階の書架を開放し、エレナとスピラは閉館の仕事に移る。
夜の図書館の顔ぶれは、だいたいいつも同じだった。町の要職につかない魔女たちが集い、静かに本を読んでいる。生前の長老は、物語の創作に余暇を、費やしており、長老の物語を楽しみに、一日の生活を終えた魔女たちが集ってくるのだ。そこは一種のサロンのようになっており、身分の違いなく、読書に勤しんでいた。エレナやスピラも、業務が片付くとそこに加わり、他愛ないお喋りに興じたりした。
「あら、エレナさん。どう、お仕事は慣れました?」
黒髪の優しそうな微笑みを浮かべた貴婦人がエレナに話しかけてくる。どこかで、見かけたことのある口元だったが、それが誰なのか思い出せない。
「ええ、なんとか。失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」
「先日の集会でお会いしたじゃありませんか。リコリスですよ。ああ、あのときは目元まで覆い隠していましたから、覚えいいらっしゃらなくても、しょうがないですわね」
とっさに身構えるエレナに、スピラが声をかける。
「落ち着いてください、エレナ様。リコリス様は、長老の物語の一番のファンで、ほとんど毎日のように、こうして、訪ねて来てくださっていたのです」
リコリスは、魔女集会で、エレナの発言を遮り、強引に集会を解散させた、指南役の魔女だった。全身黒の喪服に身を包み、異様なまでの威圧感を与えていた彼女が、今日は穏やかなごく普通の貴婦人の格好で、本を読んでいる。あまりの変わりように、エレナは面食らっていた。
「そう身構えなくてもよろしいじゃありませんか。わたくし、そう邪険にされると、いささか傷つきます」
エレナは、リコリスの本心を問いただしたかった。
「先日のあなたのおっしゃっていた言葉。私が、無知だということ、それを聞かないことにはなんとも。それに、意図して集会を解散させたあなたを、私は信用できません」
リコリスは困ったような顔つきで、考え込むと、エレナの瞳を覗き込むようにして答えた。
「いまはあなたにお答えする必要がありません。エレナさんには、スピラという立派な世話人が付いていることですし。そうですね、あなたが長老としての仕事を一通りこなしてから、あなたの問いに答えましょう」
まだ食い下がろうとするエレナを、スピラが制し、二人はその場を後にした。魔女たちも去ると、エレナは帰途につく。
「長老の仕事は一通り覚えたはずだ。この上、一体何を私は知らないというのだろうか」
部屋で、夏の夜の涼しい風を頬に感じながら、エレナは、ちょうど半円になった月を眺めていた。
(続く)
2020年7月4日 『魔女の告解室』 taiti
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