母の日
お久しぶりです、親子丼です。
緑の見えるカフェでアイスカフェラテを飲んだら目も口も美味しい季節になりました。
今日は5月が誕生日だった亡くなった祖母の話します。(※がん闘病の話を含みますので、苦手な方はここで遠慮なく閉じてくださいね!)
私の祖母は、私が生まれる数年前に夫を亡くし、栃木県で1人暮らしをしていた。
祖母は田舎暮らしのくせに安物嫌いで、スーパーでは値引きのものを買わなかったり、庶民っぽい店には入らなかったりした。
教養にもうるさく、普段は孫らしく甘やかしてくれるが、茶道のお稽古だけはやたら厳しかったり、春の七草が言えないと怒ったりした。
花道と茶道が趣味で、家の中はいらない着物が積み上がっていて、母に会うときは、その中から厳選の1着を着て、東京で待ち合わせをし、高い懐石料理を食べて、「前菜は美味しかったけど、あとはイマイチね」と店の中で言って帰っていく、そんな人だった。
子供ながらに、本当にプライドの高い人だなぁと思った(ため息)。
そんな祖母に膵臓がんが見つかった。今から5年前のことだった。
祖母より優しく完璧主義の母は、いつも弱音を隠して私の前で母親を演じていたが、この時ばかりはわかりやすく取り乱していた。
若い頃に父を亡くし、ひとり神奈川の地で、夫と2人で自営の時計屋をしているため友達も少ない。母は人の顔色を伺い、共感もしやすい繊細さんタイプなので、心の底から甘えられる栃木の実家や祖母の存在は、唯一のオアシスだった。
毎晩毎夜泣き潰れる母。こんなに自暴自棄になった姿は父が浮気したとき以来である(おい、父)。
がんが発覚したとき、祖母はステージ4で、かなり体が蝕(むしば)まれた状態だった。しかし、本人は冷静で、家の整理をしたり、遺産のことを淡々と考えたりし始めた。最初は栃木で通院していたが、次第に身体がしんどくなり、神奈川のわが家に越してくることになった。
祖母は生に対して執着がないように見えた。母や叔父に「絶対に延命治療はしない」と言い張り、すぐ自分が死んだ後の葬式費用の話をし始めた。母は相当弱ってるはずなのに、いつものようにまた気丈に振る舞って世話をしていたが、やっぱり涙が止まらなくて、そんな背中を見ながら、母も1人の娘なのだと私は思った。
私は祖母がとても憎かった。すっぱりと延命治療を放棄した祖母が。
父を亡くし、こんなにも悲しんでいる娘がいるのに、なんで延命してやらないんだ。ふざけるな。どこまで母を泣かせれば気が済むんだ。ただでさえ片親なのにここまで母は頑張ってきたんだ。少しは娘のためを思え。と、心の中で思っていた。
私の実家から通院していた祖母も、次第に悪化し、ついに近隣の病院に入院することになった。腫瘍のせいで腹は膨れ上がり、身の回りのことがどんどん出来なくなっていった。
母は週のほとんどで見舞いに行くようになった。週に1度は私が見舞いに行けとの命令で、床に臥(ふ)した、暗い、それも弱っていく祖母に正直あまり会いたくはなかったが、私も見舞いに行った。
田舎にいない祖母に聞くことなど、ほとんどない。田舎にいれば、スーパーの帰りに薔薇の鉢植えを買って帰れたのに。夕飯のときに、ユキノシタの天ぷらは美味しいとか、フキノトウは揚げれば苦くないね、とか話せたのに。
寝る前に古びた照明を見ながら、田舎のご近所付き合いは本当めんどくさいとか、本当は女子大に行きたかったけど、じいちゃん(私の曽祖父)が行かせてくれなかったから仕方なく高卒なのだとか、布団の中で、色んな愚痴を聞けたのに。
まあ、仕方ない。私の華のキラキラキャンパスライフでも話したるかぁ。と思ったら、ぽつんと祖母が「これでやっとパパ(私の祖父)に会えるわぁ」と呟いた。
そうか。きっと母には言えないんだろうけど、本当は祖母も早く天国に行きたかったんだな、と私は思った。
1人あんな広い家で。愛犬にも夫にも先立たれて。今思えば、必死に趣味に興じたり、着物買い尽くしたり、高価な食器を集めたり、冷蔵庫も1人暮らしのくせに食料でいっぱいにしてたのも、心の寂しさを埋めるためだったのかもしれない。
命あるものはみな亡くなる。地球が回っているのと同じくらい、それは変わらない真理である。漏れなくそれは人もだが、人には心があって、誰かが亡くなるとき、きっと悲しいのは、亡くなった本人より、遺された人なのだと、私はそのとき初めて学んだ。
それから程なくして、祖母は亡くなった。
母はぼろぼろ泣きながら、「ママ、ありがとう」と背中をさすっていた。これまでずっと祖父に会いたい、会いたいと願った祖母も、ようやく天に行くことが出来た。
今でも母は、栃木の実家に帰る前に取り乱してしまう。旧友のママ友にも「だめね、数年経ってるはずなのに、母を思い出すと当時と同じくらい苦しい」とこぼす。人の死は、それほどまで人の心に大きく影響をもたらし、その傷とともに遺された者は生きてゆくのだ。
私の両親もいつ亡くなるかわからないから、今のうちに親孝行しよう。と私は思い、だらだら休学しながら、実家の手伝いをしている。私が店番すると、不安症で若干依存気質がある母もちょっとだけ、嬉しそうだ。
時間の許すかぎり、親のためではなく、自分のためにこれからも店番しようと思う。