【ウモ星人からの書簡】 D57-1T1B - 1/6 地球上におけるUMMOの歴史年表、UMMOによる宇宙論、次元変化の概念、UMMOの物理学における空間
D57-1
T1B - 1/6
手紙のタイトル:地球上におけるUMMOの歴史年表、
UMMOによる宇宙論、
次元変化の概念、
UMMOの物理学における空間
日付:1967年1月23日
受信者:ビジャグラサ氏
原語:スペイン語
備考:全30枚中、1枚目の手紙。
UMMOAELEWE
言語:フランス語 - 部数:2
言語:スペイン語 - 部数:4
消印:1967年1月23日
地球の皆様へ:
1965年5月5日、ドイツにいる二人の文通相手とアメリカにいる三人の文通相手は、皆様にお渡しするこのお手紙と同じ内容の報告書を受け取りました。
この数カ月間、スペインとフランス、そしてあなたを含む五人が、私たちの地球到着の歴史をまとめた文書を送るように電話で提案していらしたので、私たちの惑星から地球に到着した最初の探検家グループの苦難を要約してお伝えするのは興味深いことかと存じます。
地球との最初の接触
まず最初に、宇宙の二点間の日付や時間を特定することは、技術的・科学的に難しいことをご注意しておかなければなりません。地球上のある瞬間(t)と銀河系のある地点の別の瞬間(t')を同一視することが意味をなさないことは、多くの地球物理学者が認識しておられます。したがって、例えばこの惑星で二年に相当する間隔Δtについてお話するとき、私たちの「UMMO」星で全く同じ時間間隔を仮定しても、変異により現在の物理学では誤りを招くことになります。
しかし、このレポートは純粋に歴史的なものであり、宇宙論や相対論物理学の専門家を対象としたものではないので、科学的厳密さには欠けるものの、より理解しやすいように従来の言葉を使うことにいたします。したがって、この段落で「二年前」という表現が使われている場合、「年」という単語が地球の時間の単位であることを前提とするだけでなく、UMMOで経過したこの二年間は、地球上での二年間と同時であると仮定してください。
物理的時間単位 (図D57-0)「UIW」。 地球の時間では3.092分で、WAELEUIE UOAD L(トリウム同位体C)が50%の質量を減らすまでの時間間隔と定義しています。
UMMOの回転時間:(約600UIW)すなわち30.9時間。
IUMMAを中心としたUMMOの移動時間。XEE ( 18 XEE ) に分割しています。1XEE=60日またはUMMOの一回転です。XEEは私たちにとって、地球の「年」に相当します。
実用的には、「地球の一年」は、その非日常性を無視すれば、4.72186「UMMO年(XEE)」に相当すると考えてもよいでしょう。
長さの物理的単位:ENMOO (図D57-1)は、地球の1.874mに相当します。
天文距離単位:UALI (図D57-2)です。地球上の単位に換算すると、12^4.3光年に相当します。
(周期的な現象における)周波数単位:この 「xii」は、UMMOの一日だけでなく、車輪の回転や単位時間あたりのサイクルを表す言葉ですので、様々な意味があります。
1950年3月28日の二年前(地球年)、UIIOGAA IXIOGAA地域にあるXANMODAIUVAAセントラルは、(図D57-3)というコードの銀河系星群から来る超低周波レベル(毎秒413.43877メガサイクル)の電波を拾いました。この施設は銀河の他の場所から来る信号を探査する自動センターで、電磁波や光の信号だけでなく、重力波の信号も検知します(あなたはこの信号の生成と発信についての技術をほとんどご存知ないと思われますが、UMMOや他の文明では広く使われています)。
捕捉した信号は2.21IUW(6.83分)と短く、短いパルスと長いパルスで構成されていました。これが地球の「モールス信号」であることは、後にわかりました。しかし、技術者はそれをバイナリコード(ドット=0、ダッシュ=1)と解釈しました。このミスは、さまざまな憶測を呼び、最も整合性のある説は平面上の直交する四点を数学的に表現する方程式の解析式であるというものでした。つまり、正方形です。そのため、信号の発信源とされる惑星には「OYAGAA」(直訳すると「四角い寒冷星」)と名付けられました。
私たちは、銀河座標系を使い、この電波が発信されたおおよその地点を簡単に特定することができました。信号の発信源であるOOYIA(矮星)は完全に見えていました(あなたの星系の太陽のことです)。さらに、少なくとも四つの惑星(OOYAA)がその軌道を周回していることが確認され、OOYAA (図D57-4a), OOYAA (図D57-4b), OOYAA (図D57-4c), OOYAA (図D57-4d) というコードが付けられました。
一番目は海王星、二番目は土星、三番目は木星に対応し、四番目は計算のミスで金星と水星を一緒にしたものに対応しています。この等級の寒冷星をUMMOから六光年以上の距離で光学的に見ることはできません。
それまで私たちはあなたの太陽に注意を払ってませんでした。この地点からの電磁波や重力波の信号を受信したことがなかったため、専門家はこの惑星群には人は住んでいないと判断していたのです。
このニュースは、私たちの社会には興味深く、技術者たちには驚きを持って受け止められました。次のステップは、この惑星系で挙げられた四つのOOYAAそれぞれの幅広い誤差範囲の確率を除外した希少データを推測し、発信の中心であるOOYAGAA(正方形惑星)だと識別できるか提示することでした。この幾何学図形に言及したメッセージが発せられた理由について、専門家の中には、シンプルな幾何学図形に基づく惑星間コードを使っているという単純な理由だろうと推測する者もいました。
当時、技術者たちはこの四つの太陽系惑星の推定質量を次のように計算していました。
OOYAA(D57-4a)(現在は海王星と判明):52×10^24 oobo
OOYAA(D57-4b) (おそらく土星) : 286×10^24 OOBO
OOYAA(D57-4c)(現在は木星と同定されています):940×10^24 OOBO
OOYAA (D57-4d) (この惑星は存在しません。水星と金星の重力影響に基づいて推測されました。): 推定質量: 2.6×10^24 OOBOO
(1 OOBOは質量1.733kgに相当します。)
最初の三つの惑星は生物学上、人類が住むには質量が大きすぎると思われるため、除外することができました。これらの惑星の温度は(後に検証されたように)有機多細胞生物の発生に適したものではありませんでした。
これまでの段落で見てきた通り、このメッセージを受け取り、分析したときの間違いはかなり深刻なものでした。
私たちは、地球に来たあと、これら全ての単純な間違いを認識しました。まず、信号の本当の由来を明らかにすることができたのです。それは、私たちが考えていたような、地球文明が送った惑星間メッセージではなく、1934年2月4日から8日にかけて、ニューファンドランドに向かっていたノルウェー国籍の船が送った暗号会話の断片だったのです。その国の科学者たちは、当時TSFと呼ばれていた電子工学の専門家で、電離層反射による通信の実現を実証するために高周波の機器をテストしていました(今では地球の技術者におなじみの技術も、当時には珍しかったのです)。その信号の一部が偶然にも私たちの惑星に到達したのです。
電磁波は三次元空間で考えると直線で伝わるため、UMMOに到達するまでに十四年の歳月がかかりました。
すぐにUMMOAELEWE(三人で構成される評議会、または中央政府)は、この惑星系を直接探査するための研究を立ち上げるよう命じました。WADOOXOAA OEMM(星間移動)の専門家が、この現実離れした探索のために行う一つ一つのプロセスは、あなたの想像を絶するほど複雑なものです。
そもそも、古典的な三次元時空間で測った距離があまりにも膨大なため、二つの惑星の間の「直線」軸上の移動は最初から無理だと分かります。毎秒十八万八千キロ(星間移動に推奨される最高速度)に達する船でさえ、この惑星まで光と同じ直線的な軌道をたどるなら、到着までに三十五年以上かかるでしょう。
また、仮に光速に近い速度を出せる強力なエネルギー源を持ち、宇宙船の相対質量の驚異的な増加という難題を解決できたとしても、十四年の旅は探検家グループにとってあまりにも長過ぎる時間です。
私たちの科学技術がこの問題を解決するために使うシステムを説明するのは非常に難しいのですが、少しまとめてご紹介したいと思います。
まず、宇宙論が専門の兄弟は、WAAM(宇宙と訳します)が単に四次元の連続した空間(古典的な三次元と時間軸)ではないことを長年知っていました。本当のWAAMは多次元の複合体で、私たちはその内の十次元しか知りません。
私たちの感覚は、この内の三つの次元(心理空間)と時間にしかアクセスできないと思われるかもしれませんが、これは単に心理学的概念である「知覚」の歪んだ判断なのです。私たちが知っている外界は、脳が作り出した幻想なのです。電磁波が美しい色に見えるとき、その(サイクル/秒で表される)値が小さくなると、私たちの神経器官はまったく別の感覚「熱」ととらえるのです。このように、自然の異なる次元は、異なる認識でカモフラージュされて現れます(したがって、私たちが質量と呼ぶものは、実際には別の次元のグループを錯覚して認識したものです)。
陽子、中間子、ニュートリノ、電子などと呼ばれる粒子の正体を調べると実際には、間違って三次元と呼ばれる空間の小さな変形で軸が別の角度であることを発見しました。シーツを広げたものを想像してください。これを、私たちが虚空と呼ぶ三次元空間になぞらえます。ここで、シーツに小さなへこみや変形を加えると、このへこみが陽子の質量を表すこともあれば、へこみの大きさや深さなど、変形させた軸によってはミュー粒子を表すこともある。
したがって、シーツを片側から見ると凹み(陽子)に見えますが、反対側から見ると出っ張りや突起(反陽子)と解釈されるのです。さらに、自分の軸を別の視点から見ると、この変形は多かれ少なかれ斜めに、つまり異なる軸や次元で作用しているように見え、ある時は「中性子」として、ある時は素粒子と呼ばれるものに見えるかもしれないのです。
つまり、このような粒子の解釈は、観測者がいる基準系によるのです。これが、地球物理学者が何百もの原子団を発見し、その系列に終わりが見えずに戸惑う理由なのです。現実にはファンタジーを追求しているのです。例えるなら、一つの多面体結晶に太陽光が当たり、壁に映し出された複数の反射を分類するようなものです(これは、量子・原子核物理学の分野で、これらの微粒子の異なる特性を分析する地球の研究を批判しているのではなく、単にそれらを異なる存在として考えていることへの批判です)。
それはまさに、ある体細胞が別の体細胞に変化することと同じであり、私たちの情報ではすでにあなたはそれを観察されていますが、まだコントロールする方法をご存知ないのです。それは、「軸の変化」すなわち「次元の変化」以上でも以下でもありません。例えば陽子の質量がエネルギーに変換されて目の前から消えるときに実際に起こったことは、古典的な空間の次元に対して軸の方向が九十度回転したということです。しかし、これが当てはまるのはあなたの基準系だけです。四次元、五次元、六次元にいる別の観察者は、エネルギーが集中して「陽子」という粒子が形成されるのを見るからです。
現実には、あなたは地球の物理学者やSF作家が夢想してきた物理学実験室で生きているのです。つまり四次元への通路です(あなたが使うこの言葉、「知らずに散文で話す」と少し似ています)。私たちが行ったように、人体や物体のすべての亜原子粒子の均質な反転を制御することに成功したとき、これは三次元空間のある基準系から、同じく三次元ですが最初のものとは異なる別の基準系に移行したと解釈すべきです。現実には、あなたが想像するほど幻想的ではなく、地球のSF作家が夢想したものとは異なります。
私たちが銀河系を旅する原理をご理解いただくために、説明しなければならない第三の概念があります。WAAM(宇宙)の様々な銀河の集まりを隔てる空間は、平らで広がったシーツという単純な比喩で解釈してはなりません。むしろ、このシーツが風に吹かれてうねり、論理的に考えれば、そのうねりは四次元や五次元など別の次元で発生します。このような波紋の起源は、双子のWAAM(宇宙)が生み出す超宇宙論的なものですが、この説明ではあまり重要ではありません。あなたにとっては意外かもしれませんが、確かなことは、このような現象は発生し、この現象によって惑星間移動が容易になるということです。シーツ上に10cm離れた二つのインクの染みがあると想像してください。これは、宇宙船や光が、最初の場所から次の場所までたどる軌道だとします。
ここで、二つの点を隔てる距離の中央を垂直に交差する軸に沿ってシーツを折ると、この距離(数学者が測地線と呼ぶもの)に加えて、シーツの表面から離れ、この二点の間の空間を横切る、別の短いルートが存在することが分かります。
しかも、そのルートは、シーツの布で表現される三次元空間の外に出るルートを軸としていることがわかります。例として挙げた布以外の三次元の基準枠に自分を置くには、自分の素粒子を別の軸に向けるしかありません。地球物理学の言葉で表現すると、素粒子を均質かつ厳密に制御して並べ替えることです。
明白な理由からこのプロセスの技術的な側面を説明することはできかねますが、あなたが原子力エネルギーよりもはるかに賢明に適用していただけることを願っております。あなたがその技術に到達するのは、そう遠いことではないでしょう。
このような条件下では、私たちの意志で恒星間航行ができるものではありません。お分かりのように、私たちが「USAAGIXOO」(等力学)と呼ぶ空間の条件によります。分かりやすく申し上げれば、宇宙の襞(ひだ)が二つの星を接近させ、星間移動を可能にするのです。
しかし、この空間の波紋やひだは周期的なものではなく、一定の法則に従いません。短期的には予測できますが、大きな誤差が出てしまいます。例えば、現在(1967年1月)、この好条件が近づいていることが分かっています(誤差は1966年から1967年の2年間で12月から3月まで及びます)。
このような擾乱は既知の法則に従っておらず、その発生源はUWAN(反宇宙の意)で、私たちには決してアクセスできないため、その予測と手法は気象や太陽黒点や嵐の予測よりも困難なのです。
それでも、旅はすぐに可能になりました。193 XII(XIIはUMMOの一回転または「一日」)には、最初の探査に好都合な条件が整い、二十四人が二台のOAUOLEEA UEUA OEMM(これは、大気圏外を移動するレンズ型の乗り物のこと)でこの惑星系に向けて出発しました。
次回のお手紙でお伝えしますが、これは基本的に探索の旅で、最初の目的は海王星、次に火星、最後に地球でしたが、この旅では惑星に着陸していません。
これからお送りするお手紙は、1950年3月28日にディーニュ(フランス)の近くに上陸した第二陣が、言葉も基本技術も知らない文明に直面し、経験した苦難を綴ったものです。その学習過程や、フランス当局の手に落ちるのを避けるために最初の頃に苦労して即興で行った防御法、紙幣を得るために窃盗に走り(このお金は後に返済されました)、あなたの法律を破るに至った理由、これらすべては間違いなく、二つの惑星の関係を発展させるための初期の試みとして、語るに値するでしょう。