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変則英語と外国語としての英語

妙な言葉を出しました。「変則英語」って何?って思う人もいるかもしれません。これは明治大正期の英語教育において主に使われていた言い方で、今で言う4技能を満遍なく学ぶのが「正則英語」で、当面に必要性に合わせて読み書きだけを学ぶのが「変則英語」と呼ばれていました。当時は教材として音源が手軽に使える時代ではありませんから、音声言語を扱わないことは発音を無視することと直結していたようです。

さすがに、現代ではそんなにひどい英語学習はないだろう、と思いたいですが、単語帳を眺めながら高校生が「ゲネ、ゲネ」とつぶやいているのを耳にしたことがあります。一緒にいた高校生が「ああ、遺伝子」と言っていたので、geneのことでしょう。変則英語は残念ながら現代にも生きています。英単語の綴りを覚える時に日本語読みを援用することは決して否定されるものではないでしょうが、そのことと英語の読み方を知らないままで済ますこととは別の次元のことです。

一方、外国語としてことばを学ぶ場合、必ずしも4技能をバランスよく今すぐ必要となる人はそれほど多くはありません。必要なところから学べばよいのです。もっとも、誰にとってどの技能がいつ、どこで必要になるのか分からないのが21世紀の現在の状況です。このため教育する側としては4技能を一通り学べる体制を作っておくことは大切なことです。

読み書きの学習であっても、音声を伴う練習を組み込むことで学習が効果的になることがあります。また、大人が学ぶ場合は話しことばを学ぶ場合にも、ことばを文字で分析的に学ぶことを組み込むことでより効果的に学べることがあります。つまり、「目標としての4技能」と「手段としての4技能」という2つの考え方があるのです。前者は学習者それぞれ受け止め方に違いがあるでしょうが、後者はすべての学習者が共有すべきと言えます。

この考え方は、大学受験の英語にも当てはまります。実際、共通テストの問題演習ばかりやっていても、共通テストで高得点が取れないことはよくあります。入試問題は読解中心に見えますが、スピーキングやライティングの代用という位置づけの問題も見られます。そういう問題の対策は皮相的な解法を身につけることではなく、スピーキングやライティングの力をつけることなのです。

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